はぐれ者の単騎特攻

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プリキュアオールスターズF 手を取り合い前に進む

「映画プリキュアオールスターズF」を見てきました。プリキュアシリーズという女児アニメを牽引し続けているレジェンドクラスのシリーズにおいてもマイルストーンになりうるとんでもない物を見てしまったという実感があり、久々に感想を書かねばならないという使命感に動かされています。

 

 

この作品の迫力は「プリキュアとはなにか」というプリキュア像が拡散しきった今となっては答えることが難しい問題に真っ正面から向き合った点にある。

作中世界における伝説の戦士の称号という基本線はあるが、作品ごとに持つ独特のニュアンス*1は当然ながら食い違うこともあるし、ファンそれぞれの胸の内にもプリキュア像がある以上万人を納得させる答えを出すことは難しい。しかし、私はオールスターズFにその答えを見て打ち抜かれてしまった。

 

その答えがどのようなものだったのかストーリーを追いながら確認してみたい。

 

広大な土地になぜか一人で横たわるソラは謎の敵に襲われるも偶然居合わせたキュアプレシャスとキュアサマーに助けてもらう。3人はそれぞれが仲間とはぐれてしまったことを知ると仲間と合流するために町の中心と思われる城を目指し行動を共にする。ましろやツバサ、あげはも他の作品のメンバーと出会い、やはり城を目指して協力するようになる。

 

まずここで注目したいのが複数の作品のキャラクターで組んだチームがお城を目指して旅をする中で彼女たちにしばしば成長が見られるということだ。たとえばララと琴爪ゆかりは雪山で行動を共にするべきか、自由を尊重し一人での行動を認めるべきかで対立してしまうが、最終的には互いを認め惑星サマーン流の挨拶を交わすまでになる*2

 

それはストーリーの要請によるものというよりも、キャラクターが自然に動いた結果であると感じられるので「そうそう、彼女ってこうだったよね」と同窓会気分で楽しく見られるし、プリキュアはこれまでも仲間と共に成長してきたことも思い出させる。

 

旅の中でソラチームはプリム(キュアシュプリーム)に、ましろチームはプーカという妖精に出会う。

出会いたい仲間がいるわけでもなくソラたちに同行し、「プリキュアとは何か」という問いを明示的に投げ掛けるプリムは異質な存在として視聴者の目に映る。一方でプーカも過去のトラウマと触れたものを崩壊させる力のために差しのべられる手をとれないという異色の造型だ。プーカの異質さは、のどかに手を差し伸べ、手を取ることで彼女を列車に引き上げたラビリンと比べると際立つ。

 

冒険の末についにお城に着いたソラ達は町を支配するアークがいるという大広間に向かうもアークは既に何者かに倒されていた。あっけにとられるプリキュア達にプリムが衝撃の事実を告げる。

   

プリムは実はシュプリームといい、強さを証明するために全てのプリキュアを倒したがかつてなく自分を追い詰めたプリキュアの強さに惹かれ、模倣していたこと、プーカはシュプリームの力の一部から生み出された妖精で戦闘の役に立たず捨てられてしまったこと、さらにこの世界は崩壊させた地球を再構成させた物であること、それらを聞き全ての元凶を知ったプリキュアはシュプリームに挑むも圧倒的な力の前に一人ずつ倒れていく。

 

自分たちが既に敗れてしまっていて、今また敗れようとしている。絶望的な状況に涙をこぼすソラだったがゆいの「いつでも笑顔」、まなつの「今一番大事なことをする」という姿勢がヒーローの心得となり、ソラを立ち上がらせる。

ここでソラが立ち上がるきっかけがましろやシャララ隊長じゃなくてゆいとまなつであることで、短い旅の中でも他者との交わりから何かを得て成長していくプリキュアらしさが表現されている。

 

一度は消滅したプリキュアを呼び戻すために、プーカの逆転の一手からプリキュアの歴史が展開されていくクライマックスシーンで視聴者は誰かを助け、助けられてきた20年を一身に浴びる。歴史そのものが襲いかかってくるような感覚はジオウOQやスパイダーバースにも通じる部分がありつい夢中になってしまうが、制作陣がなにを「プリキュアの歴史」として抽出したのかを考えるのも一興だろう*3

 

ついに集結したプリキュアオールスターズとの再戦で「仲間がいれば強いんだろ」と自身の分身のような戦闘員を多数呼び出すシュプリームは皮相的な捉え方しかできていない。それでも相手を理解しようという試みは一歩前進しているし、皮相的な考えには違いないのでプリキュアには勝てない。

プリキュアになったプーカの活躍もありついにシュプリームは敗れる。

 

敗れたプリムはプリキュアやプーカに手を差し伸べられることで今度こそ仲間の意味を理解し、本当の意味でのプリキュアとなった。

 

以上のストーリーを踏まえて本作が出した答えを私なりに整理するなら「手を取り合って前に進むものたち」となる。

 

そもそもの「ふたりはプリキュアからして運動神経抜群で活発ななぎさと勉強が好きで芯の強いお嬢様タイプのほのかという正反対の二人が少しずつお互いを理解しあう物語であったことを考えれば非常に納得のいく結論だ。

 

オトナプリキュアやダンシングスタープリキュアなど新たな展開を控える*4プリキュアはおそらくこれからもその意味を変容させながら歴史を紡いでいくだろう。しかし、10年20年経った後にプリキュアの意味を再考するにあたってオールスターズFを欠かすことはできないはずだ。

*1:たとえばシリーズ14作目の「キラキラ☆プリキュアアラモード」では「伝説のパティシエ」とされているし、もっともラディカルな15作目の「Hugっと!プリキュア」では生きとし生けるものは皆プリキュアと解釈できるような展開がある

*2:ここでプリアラの枠で画面を囲む演出が出てくるファンサービス。予想していなかっただけにビビったし嬉しかった。

*3:一人では何もできないだろうとプリキュアを嘲るシュプリームに無印42話がクリティカルに刺さる部分はこの映画でも特に好きな場面。かっこいいよ……

*4:投稿時点でオトナプリキュアは2話まで放送されているが記事の構想自体は放送前にできていたのでこのような表現をしている