『仮面ライダー555』(以下『555』)放送から20年を迎えた2024年に公開された『仮面ライダー555 パラダイス・リゲインド』(以下『パラリゲ』)は当時の主要キャストとスタッフをそろえ、『仮面ライダージオウ』や『仮面ライダー4号』とは異なる『555』の終わりを描いた。
当時の制作陣が何を持ってして『555』の終わりとしたのか考えてみたい。
『555』の魅力
まず『555』の持つ魅力とはどのようなものだったか。思いつくままに挙げてみても「スタイリッシュなアクション」「3本のベルトの争奪戦」「コミカルな会話劇」など多数の答えがあるが、それらに「絶えず動き続ける人間関係」を加えても異論は少ないだろう。
たとえば巧と真理と啓太郎の出会いはいずれも最悪で、彼らの間では口げんかが絶えなかった。3人の関係が落ち着いてからも草加を初めとする流星塾生の投入や、木場たちとの関わり(彼らも元から仲間だったわけではなく関係性の構築に時間をかけている)、巧のオルフェノクバレによって人物相関図は常に書き換えられていく。
この不安定さは多用されたクリフハンガーと相まって「555らしさ」を演出していたと言える。
人間関係の変化という特徴は続編でも概ね踏襲されている。『ジオウ』では巧と草加の間にあったわだかまりを取り除き本編のIF的な展開を描いた。『昭和vs平成』では回想と過去の未練の象徴的な扱われ方をしている草加を除けば半田健人のみが555キャストだったために人間関係の変化は見られないが、『仮面ライダー4号』でも「乾巧の死」を軸に海堂と巧の間で本編からの時間の経過を感じさせるやりとりがあった。
『パラリゲ』で描かれたもの
ストーリーを振り返りつつ『パラリゲ』について考えていく。
『パラリゲ』では本編から20年が経ち(劇中で明言されてなかったかもしれないけど)、乾巧は去り、死んだはずの(真理の視点では行方不明の)草加、啓太郎の甥の条太郎、海堂、新世代のオルフェノク3人組が新たにクリーニング店とその2号店に身を寄せている。
スマートブレインから追われる立場となったオルフェノクたちを庇護しながら日々を過ごす彼らはある日仮面ライダーミューズ’(玲菜)と交戦する。未来を予測する力を使うミューズに苦戦する草加らの前に現れた巧は、ネクストファイズに変身するがなんとミューズではなくオルフェノクに襲いかかる。
海堂の機転によってかろうじて難を逃れた真理たちは巧の真意を推し量ることができずに困惑する。20年間の断絶は視聴者にも劇中の人物にも重くのしかかる。
それでも真理は巧を信じようとするが草加の「人は誰しも変わっていく」という言葉に強く言い返すこともできない。真理をこのように説得する草加自身がいじめられっ子だった流星塾生時代から大きな変貌を遂げているだけに説得力には欠かない。
巧が再び真理の前に姿を現すとき、彼は失踪する前に頼まれていたマヨネーズを携え時間の経過など無かったように振る舞おうとするが真理との会話はどこかぎこちない。
断絶を埋められないまま玲菜の息のかかった職員の手術によって真理はオルフェノクとして覚醒してしまう。自らの殺人衝動に怯える真理は自殺を図るも巧に助けられてしまい、やり場のない思いから一貫性のない彼の行動をなじる。彼女に改めて向き合う中で巧も初めて弱い部分をさらけ出し彼らは男女の関係となった。
巧が出した答えである「問い続けること、それが答えだ」のセリフはOPから拾っているというよりは、実際にそれ以上の答えが存在しないから発せられる極めて真摯な回答として聞こえる。捉え方によってはOPが初めからその境地に立っていたとも考えられるが。人とオルフェノクの関わりについても明確な答えは出せないまま、自分たちが前に進んでいるのかも分からずに555世界の住民は歩き続ける。人はその中で変わっていく。
かといって何もかも変わってしまうのかと言えばそうではない。条太郎にとってお話の中の人である「乾巧」は当然ながら現在の乾巧とは別人だ。それがファイズギアを渡した瞬間に今 ここにいる乾巧と接続するカタルシスはそれだけでこの作品を見て良かったと思わせるだけの物がある。
真理がオルフェノクになることで巧と真理の異種族の相互理解文脈が弱まってしまうことは確かなのだが、だとしてもこれも「555らしさ」なのだ。
ヒーロー論
ヒーローは正義を為した後には消え去るべきであるとする美学を乾巧は「人と関わることを忌避する」パーソナリティによって体現している。真理によって強引に役目を押しつけられなければ巧が東京まで来ることはなかっただろう。
長い間菊池家に身を寄せていたが死期を悟ったことで一度は真理の元を離れてしまう巧。彼の決心をどこかで感じ取り日常に引き留めようとお使いを頼む真理などはいかにも555的だ。
オルフェノクになった真理に弱音を吐き、再び彼女の元へ身を寄せる。一度は河川敷で誰からも看取られずに死を迎えた巧だが彼が一人で死ぬことは二度と無い。ラストシーンで、一度は真理の元を離れる決意をさせた手を見つめる動作の意味を反転させる演出も心憎い。
先ほどの話にも繋がるが今作で変わったのは真理だけではないのだ。
印象的な「オルフェノクさん・・・ですよね。申し訳ないですが・・・死んでください!」のセリフでも示唆されているように、北崎社長の要請を受けて出動する玲菜は自らの意思で戦っているわけではないので「変身」にも自信が持てずに恥ずかしさを感じてしまう。
しかし真理を自らの意思でオルフェノク化させた後の戦いでは意欲的になり、恥ずかしがるそぶりを見せることなく変身してみせた。
北崎もミューズに変身することで(条件さえ満たせば)誰でも変身できる555ライダーの魅力を改めて感じられた。
過度に挑戦的というわけでもなく*1、かといって小さくまとまりすぎもしない20年後のファンに向けられた佳品と言えるのではないか。
*1:復コアは映像に目をつぶれば好きだけど『いつかの明日』を謳ってあれを出したらまあ怒られる