はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

メメタァミステリ ジョージジョースター 舞城王太郎

 コラボレーションによって生まれる創作物には複数の才能が交差して生まれる輝きがある。しかしながら大多数の消費者はそれを望んでいない。

A×Bを謳っても現実にはA'やA+1/nBが望まれているのだ。

 

たとえば漫画やアニメが実写化されると原作との差異を見つけては鬼の首を取ったように騒ぎ立てる人がいる。彼らにとって新たな個性は夾雑物としかなりえないのだろう。一番ひどい場合には原作を新たな媒体で再出力するためのコンバータ程度の役割しか期待されていない。

 

舞城王太郎はそんな暗黙のルールなど気にしない。彼(性別不詳の覆面作家に用いる三人称としては不適格かもしれないが)は「ジョジョの奇妙な冒険」とコラボするにあたって、模倣でも余白への書き込みでもない第三の道を選んだ。というよりも彼には初めからこの道しかなかったのかもしれない。A×Bの謳い文句に忠実に掛け算を行ったのだ。具体的に言えばジョジョ一~七部を分解、再構成した上に数多くの舞城由来の異物を持ち込んだのだ。

 

掛け算には足し算にはない爆発力がある。荒木飛呂彦×舞城王太郎ジョージ・ジョースター

ジョージ・ジョースター」は単行本にして765ページという膨大さの中に世界を詰め込んだ。その世界は一言でいってしまえば何でもありの世界だ。

 

その最たるものが「福井県西暁町の名探偵、ジョージ・ジョースター」と「加藤九十九十九」だろう。「おいおいおいどうしてジョージが日本にいるんだよ! 名探偵ってなんなんだ」と困惑する人もいるだろう。この小説では「ジョージ・ジョースターは『2人』いたッ!」のである。そして物語の半分はもう一人のジョージを中心に進むことになる。

 

以下、煩雑さを避けるために作品を指す場合はカギカッコ付きの「ジョージ」、日本のジョージは名探偵ジョージ、イギリスのジョージはジョージⅡ世と呼び分ける。

 

ジョージⅡ世の親友にして物語の狂言回しでもある加藤の初出はJDCトリビュート「九十九十九」だ。「ジョージ」が名探偵ジョージを必要としたように「九十九十九」は清涼院流水が作った世界を相対化するためにオリジナルの九十九とは異なる主人公「加藤九十九十九」を必要とした。

そして彼はジョジョの世界を破壊する(ディケイド的な用法)ためにこの作品でも活躍する。

 

ここで私がどの程度までジョジョの奇妙な冒険と舞城作品の知識を持っているのかを正直に告白したい。私の視点の偏りを紹介することにもつながるはずだ。

まずジョジョについては一~六部を一周ずつ、七部を6巻まで読んだ。スピンオフ、「岸辺露伴は動かない」も1巻のみ読んでいる。いずれジョジョリオンも読むつもりだ。

続いて舞城王太郎の既読作品を思いつくままに上げると「煙か土か食い物」「九十九十九」「世界は密室で出来ている」「阿修羅ガール」「スクールアタック・シンドローム」「NECK」「ディスコ探偵水曜日」「短篇五芒星」「好き好き大好き超愛してる」「淵の王」となる。アニメや原作漫画には現時点では触れていない。

 

念の為、他の重要そうな知識の有無にも触れよう。清涼院流水作品は「コズミック」「ジョーカー」の二作品のみ読んでいる。推理小説批評については「後期クイーン問題」などの問題に触れている文章を読んだことはあるが、まとまった形では一度も触れてこなかったため殆ど無知と言うべきだと思う。

 

前置きはここまでにして感想を語り始めたい。……とここまで書いて書き勧められなくなってしまった。「ジョージ」には文脈が強く関わるのに感想は脈絡を失ってしまうような予感がひしひしとするからだ。窮余の策として目次をつければ狭い範囲での文脈を守れるのではと思いついたのでひとまずそれに従って書き進めてみよう。

 

……あ、ここまでに上がった作品についても内容に踏み込んで語る場合があるので注意してください。

 

名探偵の特権性

 本作では名探偵は真相に到達する装置のように扱われている。作中に転がるすべての謎に決着をつけられる唯一の存在。メルカトル鮎ではないが無謬なのだ。

 

冒頭、屍生人の存在を知らずに誤った推理を展開してしまった九十九十九は名探偵の座から降ろされる。

 

舞城の代表作ディスコ探偵では数々の名探偵が登場し、推理を披露するが真相は逃げ水のように去っていき、間違った探偵は奇妙な自死を遂げていく。役割を失った登場人物には退場あるのみというわけだ。

 

このような名探偵の唯一無二性や特権性は「ジョージ」ではBEYONDと称される。作者のような存在に導かれているような感覚とも説明される。誤った探偵九十九十九によってジョージⅡ世へのBEYONDの継承が宣言される。しかし、ジョージⅡ世は真に受けない。

 

ちなみに九十九十九の元ネタのJDCシリーズでは名探偵の存在はモブ同然になっている。Japan Detective Clubは350人もの名探偵によって構成される。メンバーは功績や能力などで第一班から第七班までランク付けされている。名探偵といえど相対的な格付けが可能であるし、作中ではあっけなく殺され消費されてしまう。もちろん九十九十九をはじめとした一部の名探偵は称号に見合った活躍を見せる。

 

時間の流れ 

人それぞれの意識の流れ(時間の流れ)の断絶はディスコ探偵でも時間や場所を乗り越える手段として大きな役割を果たした。「ジョージ」では時間に干渉するスタンドが作用する対象を選別する方法にかかわってくる。

これはスタンドの解釈としてもなかなか面白い。たとえばメイド・イン・ヘブンで加速した時間の中で死体が腐るのは微生物には独立した意識がないため時間の流れを遮断できないからと解釈できる。

ミスタが服を自分の一部だと認識していなかったために彼の服がMIHによって朽ちてしまうシーン。非常に動物らしいミスタの一面を反映しているようで興味深かった。

 

拡張されるジョジョの世界 

ジョジョ六部ではプッチ神父によって宇宙が一巡する。ところが「ジョージ」では宇宙は三十六巡することが明かされる。そして「天国へ行く方法」にある「36人の罪人」とは一巡を乗り越えた36人の究極生命体カーズを指すとされた。

 

これだけでもかなり壮大なのだが平行世界が絡むことでさらにスケールが広がる。

 

ファニー・ヴァレンタインとザ・ファニエスト・ヴァレンタイン(ファニーの孫)は平行世界にまつわるスタンド能力でパラレルな自分を大量に集めてしまう。

 

宇宙は36巡するし平行世界は無数にある。それでも名探偵ジョージは一人しかいない。ここで名探偵の特権性は極めて印象深く読者の脳に残るであろう。

 

 

恐怖

 

「恐怖は実現する」これは淵の王でも言及されたテーマだ。

 

怖い想像が悪い影響を持つって、まさしく堀江さんに起こってると思う。

 

遺跡でリサリサを怯えさせた魔物は彼女や以前遺跡にいた人の想像が生んだものだった。ここでは恐怖心が負のループを生んでいる。言い換えれば勇気を持つことで反対の正のループを生み出せるのかもしれない。

 

さらに恐怖心に関連して、波紋でもスタンドでもない概念が登場する。オリジナルの概念だが、ミキタカがスタンドともそうでないともとれる能力を発揮していたり、リキエルがスカイフィッシュを前提にしたスタンドを使うなどジョジョの世界には様々な不思議があるため私は気にならなかった。

 

それが傷ついたものが身を守るために発動する「ウゥンド(wound)」だ。ジョージⅡ世の友人ペネロペが、夢の中に現れ殺人教唆を行うピエロへの恐怖をもとに自ら殺人ピエロを生み出したのだ。

 

先日のミスター・ガラスの感想でも似たことを書いた。折角なので読んでみてほしい。

tyudo-n.hatenablog.com

 

 文脈

 

前述したとおり「ジョージ」には文脈の物語という側面がある。ジョジョが受け継がれる黄金の精神やディオとの因縁を中心に据えた漫画であることや、舞城に物語そのものに関心を持っている様子が見受けられることからも自然な流れだと思う。

 

本作の文脈を捉える上での最重要ワードはやはりBEYONDだ。BEYONDが付いていることを自覚できれば努力によって自分が望む結果を引き寄せられる。ならばジョージⅡ世がBEYONDを信じさえすればそれでOK、ハッピーエンドかと言えばそうでもない。BEYONDは名探偵ジョージとディオにもついているからだ。

 

物語の中盤、屍生人となったいじめっ子アントニオと戦い絶体絶命のピンチに陥ったジョージⅡ世は初めてBEYONDを信じる。そして文脈の力で九十九十九を呼んだ(九十九が現れるに相応しい状況を生んだ)ジョージⅡ世はこの時初めて主人公たる資格を得たのだ。

しかしディオは早くからジョースター一家を敵視し、計画を練り上げていたため「ディオが勝利する文脈」は非常に強固なものとなっていた。全てのスタンドを手に入れた究極生命体カーズでも覆せないほどに。

 

名探偵ジョージもディオに苦しめられた。しかし、彼は自らがジョースター家にもらわれた養子で平行世界においても唯一の存在なので文脈に回収しきれないと知る。そして名探偵ジョージは「ジョースター一家の養子同士の戦い」という文脈の中でディオに勝った。

 

 

終わりに

毀誉褒貶が激しい本作だけどジョジョが好きな人なら一章だけでも読んでみてほしい。そこで合わなければしょうがない。そして既読者は感想をコメント欄に書きこんでほしい。まずリアルでは語り合える人間には巡り合えないので……。