はぐれ者の単騎特攻

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「仮面ライダーギーツ」の幸せの総量ってどないなのん?(超小ネタ)

本当は仮面ライダーギーツの総括を書きたかったんだけど時間がとれそうもないので小ネタを1つ。

 

「ギーツ」終盤の鍵を握る概念として、「幸せの総量」なる言葉があったと思うんだけどそれが少なくとも見かけの上では成り立ってないんじゃないの? というだけの話です。

幸運がプールされていてそれは全て誰かに分け与えられているから自分が幸せになろうと思えば誰かを不幸にするしかないし、デザグラは優勝者が願いを叶えることでその配分を偏らせるが故に問題(厳密に言えば幸せを求める気持ち「ギラギラ」の配分?)という前提の上で見るとブーストMarkⅡの誕生のプロセスは結構危ない。

 

過去の英寿がデザグラで優勝したときの願いを4回分プールして、いざというときに解放するって経緯なわけだけどじゃあその願いを叶える原料ってどこから来たんだろう。

 

可能性としては二つあってまず一つは「願いと幸せをセットでプールしていた」というもの。仮にそうだとしたら少なくとも見た目の上では幸せの総量が減ってしまっているしこれは意図がどうであれまあまあマズい。

もう一つは「願いを実現させる段階で幸せを徴収した」という可能性だが、こっちもこっちで問題がある。幸せの総量が決まっている以上誰かがとてつもなく不幸になるか大勢の人がうっすら不幸になるかしかなさそうだからだ。しかしそんな巨大な反動については全く触れられていないので前者の可能性の方が妥当に見える。

 

これは別にギーツや英寿にケチをつけたいんじゃなくて、最終的に撤廃されるとは言え幸福にゼロサムゲーム的な考えを持ち込むとどうしても厄介な話になってしまうなという話でした。お粗末様です。

 

ちゃんとしたギーツの総括はねえ……冬映画あたりに合わせて上げられたら……うん。