はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

将棋AIのゆくえ 感想

AIの進化が止まらない。

文章を書き絵を描き、本物と見まがうような映像や音声も生成する*1。生成AI元年とされた2025年はつい一年前なのに、すでにAIなしでどう生活していたのか上手に思い出せないという人も決して少なくないだろう。

 

一方でAIに人間の領分が侵されているという不安を抱く人もいる。それは創造性や意識にまつわる形而上的な不安であり、職業を失うのではないかという形而下の不安でもある。

 

それらの不安にいち早く向き合ってきたのが将棋界だ。今回紹介する『将棋AIのゆくえ』は将棋AIを過去、現在、未来の三章構成で通史的に眺めることでその進化と現時点での限界を教えてくれる。

将棋には興味がないという人であってもAIに興味があるならば読んで損はないと言えるだろう。

 

中身は過去の記事やインタビューの再録が中心なので語り口は平易で読みやすい。裏を返せば将棋にまつわる記事を積極的に読む人ならば改めて得るものは少ないかもしれない。それでも一冊で網羅的な確認ができるのはありがたい。

 

以下は自分用の簡単なメモのようなもの

 

演算能力と評価関数の改善による圧倒的成長

将棋AIの強さを決めるものは演算能力と評価関数の精度だ*2

演算能力というのは将棋AIについてよく何億手読むというがそれだ。一般的にはこれがAIの強さとしてイメージされているだろう。しかしながら将棋では、持ち駒があることで盤面がシンプルになることなく複雑さを保ったまま終盤を戦うことになる。着手できる手が多いままなので、演算能力に負荷がかかり続ける。すべての分岐を探索すれば局面の数は瞬く間に膨れ上がってしまう。

 

それを解消するのが評価関数だ。読んでも意味がない手を切り捨てることで重要な分岐にリソースを集中することができる。おそらく人間でいうところの「早見え」のタイプはこの評価関数の精度がいいのだろう。

 

将棋AIは今のなおこの両面に磨きをかけ続けている。

それにより、1年前の最強AIに7割方勝つようになるペースでの強化が進んでいるのだそう。このサイクルの中で現在の最強AIの氷彗はPonanza(現役プロに初めて勝ったソフト)にほぼ100%勝てるようになったらしく、私はもはや絶句するしかない。

 

二大潮流

そんな将棋AIで現在主流になっているものは大きく分けると2つある。一つはディープラーニングを活用したDL系、もう一つは小さなニューラルネットワークからなるNNUE系だ。

 

・単純な計算の積み重ねで動く前者はGPUを使い、比較的複雑な計算によって動く後者はCPUを使う。

・前者は終盤に難があり、後者は序盤に難がある。

 

このように様々な面で違いがある両者は切磋琢磨しながら棋力を高め続けている。優劣が対局の勝敗によって露わになる将棋では切磋琢磨のサイクルもめまぐるしい。

 

さらに最近は知識蒸留によってDL系の評価値を取り込んだNNUEなるものもでているらしく、今後も将棋AIは強くなっていくのだろう。

 

人間とAI

繰り返しになるがAIと人間の関係は未だ手探り状態だ。そんな中でもAIと向き合い続ける棋士は一様にAIの示す手を鵜吞みにする危うさを指摘する。

「評価値がよくなる手はいい手なので受け入れる」のではなく「評価値の内実まで理解したうえで取り込むべきは取り込む」というスタンスが多いようだ。数字上よくても大きなリスクを引き受ける手であれば避けることも必要だし、数字が悪くても自分の土俵に持ち込めるなら採用してもいい。

棋士がAIをどう活用するのかまで知れれば、「人間が指す将棋」の面白さが逆説的に浮かび上がってくるのかもしれない。

 

また、弁護士で将棋AI開発者のたややん氏は法曹界のAIについて以下のように語っている。

「最終的にはAIが自律して裁判するようになるかもしれない。それでも現時点では弁護士が使うことでより力を発揮する。」

本業でもAIと向き合う氏の発言には説得力がある。

 

 

tyudo-n.hatenablog.com

 

 

 

tyudo-n.hatenablog.com

*1:あまり言及すべきでないと思うけど人権侵害ソングは前提はともかくクオリティが高い

*2:これは現段階では嘘で定跡の蓄積も大事らしいが、これは究極的には演算の節約ということになるのではないかと考えて省いた

2026年上半期の本10冊

遅ればせながらやっていきます。

この半年間はミステリで気になる本がたくさん出ました。『ナッハツェーラーの城 或いは最後の〈奇書〉』『石球城殺人事件』『造反有理 文革楼の殺人』*1などのいかにも力の入った作品が目白押しでありがたいです。文学作品だと『はくしむるち』と『シュグデン』が気になるところ。

 

ところが私自身は中々本を読めておらず、厳しい状況だったのですが思わぬ救世主が現れました。その救世主とは……。

 

 

 

白銀の墟 玄の月

本を読めてなかったというにはいきなり大部すぎるだろ。裏を返せば分冊されるような作品はこれしか読めていない。十二国記の現時点における最新作で、戴国をめぐる物語の決着編でもある。

いずれ単独記事でちゃんと感想を書きます。

 

粘膜大戦

こちらは既に単独記事を書いている。私は以前、粘膜シリーズの架空戦記パートにはさほど関心がないと書いたがこの作品では架空戦記パートにも興味を抱くことができた。初期のメチャクチャさは控えめだがそれでもしっかりと楽しい新機軸の作品といった印象。

 

フォックス家の殺人

エラリー・クイーンは中後期では初期のパズラー志向を離れたと評されることが多いが、ライツヴィルものの一作であるこの作品も、物語とミステリの有機的な結合を試みていると表現できるだろう。謎を解くことと事件を解決することの間に存在する距離が鮮やかでありながら余韻のある結末を実現している。

メタ読みで犯人を当てることはさほど難しくないかもしれないが、瑕疵というほどではないだろう。

 

春季限定いちごタルト事件

中学時代に謎を解きたがる厄介な性質で痛い目を見た小鳩くんは同じく自分の性向を厭う小山内さんと平穏な高校生活のための互恵関係を築く。2人のゴールはまっとうに慎まやかな生活を送る小市民になることだが、2人の前にはいつも小さな謎が現れて小市民生活からの逸脱を唆すのだ。

小市民シリーズの第一巻。断言してもいいがこの二人に小市民生活は無理だって。しかしそれでも小市民たらんとする2人の姿にはペーソスが漂う。

 

皆勤の徒

言葉遊びに惑乱されている内に、異形の世界の日常にからめとられていくかのような感覚が私を襲った。斟酌のない異文化の洗礼をうけたようで疲労感のある読書だった。だがそこに徒労感はなく、著者である酉島伝法氏のほかの作品も読んでみたいと思わされた。

 

百年と一日

何気ない書き出しに油断して読んでいると、スルリと変なところにつれていかれてしまう。時に数世代にわたるスパンを何気ないデッサンのように読めてしまうのはとても不思議なことだと思う。

数多くある収録作品の中でも特に印象深かったのは「水島は交通事故に遭い、しばらく入院していたが後遺症もなく、事故の記憶も薄れかけてきた七年後に出張先の東京で、事故を起こした車を運転していた横田を見かけた」だ。脈絡を欠いた怪現象は読者の世界観にひびを入れ、恐怖心を呼び覚ます。

 

時空旅行者の砂時計

時空移動を可能にする砂時計の力で加茂冬馬は、約50年前の殺人事件の現場に飛ばされる。その殺人事件こそが現代で妻の命を脅かす呪いの遠因だった。

一見すると「なんでもあり」の時空移動を用いて本格ミステリを成立させるためのルールはいかにもSF的な理屈によって整備されていて「これぞSFミステリ」と声をあげたくなる。

十二支になぞらえられた見立てなどもミステリ好きの心をくすぐるものがあり、楽しく読めた。

 

面妖目録箱

記事の冒頭で言及した救世主とは実話怪談だ。先日実話怪談を取り上げた記事をアップしたのをご存じの方は察しがついていただろう。

 

ところで、その記事で私は「実話怪談は様式それ自体によってリアリティを作っている」といったことを書いた。今思えばそれは多分半分間違っていて、様式に頼り切ってしまえば現実との接地点は頼りないものになってしまうし、設置点をいかに強固にするのかが作品の出来を左右するのではないか。

以前の記事に倣いベスト5を挙げると

 

『二十四年九か月』

『女の子たちのおしゃべり』

『好き・嫌い・好き』

『トカゲ友達』

『私の町』

 

アホになって死んであとはカマキリの卵

現実との接地点を用意した作品を並べることで、リアリティからの逸脱も可能になるのか『二種類の人間がいる世界』のトビリとバンバヒの話は寓話のような作品ながら、作品集全体からは不思議と浮かない。

 

こどもの頃のこわい話きみのわるい話

おそらく現実との接地点に立脚して現実の側を揺らがせる体験を何度もすることでストライクゾーンが広がっていくのだろう。そう考えるとそもそも現実とは何なのかという話にもなってきそうだが、その意味では『スピーチ違い』や『おばけの世界』では現実そのものがあっけなく相対化されていてかなりとんでもない。

*1:厳密には7月の発売なのだが特典の不備による延期があったので実質的には上半期の作品

アフター○○○○○○○? 「ジャドウ・シーズン」 原作:井上敏樹 作画:外岡馬骨

特撮・マンガ・アニメを股にかけ、御年66歳とは思えない精力的な執筆活動を続ける井上敏樹の現時点での最新作が漫画『ジャドウ・シーズン』だ。2026年6月現在では単行本1巻のみが発売されている。

まだ序盤も序盤なのでわからないことだらけの今作だが、今回は無謀にも今作について考えてみたい(既読者の方を想定して書いた記事なので未読の方はブラウザバック推奨)。

 

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女性棋士誕生にまつわる賛否両論について

先日のこと、将棋棋士になる要件として編入試験の参加要件を三回満たすことが追加されるかもしれないというニュースが飛び込んできた。なぜかそのニュースが普段将棋に興味を持たない人まで言及するようなトピックになっている。自分の好きなものが多くの人に関心を持たれているのはやはり嬉しいものだ。

 

ところが個別の言及を見ると私の顔は強張る。将棋棋士になる要件については様々な文脈があり決して簡単にくくることはできないのに、前提知識を共有していない人の妄言がフォロワー数を武器に虚無の権威性を獲得する様を見るとムシャクシャしやがる……失礼、ムシャクシャすんのです。

 

私もこの件について決して詳しいわけではないが、それでも建設的な話をしたいなら知っておきたい最低限のことは語れるのではないかと思い筆を執った次第だ(ツッコミ・補足大歓迎)。

 

  • 棋士とは?
  • 女流棋士とは?女性棋士とは?
  • 女性棋士を巡る挑戦
  • ぬぐいがたい不公平感
  • 興行的な意義
  • まとめ

 

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アギトー超能力戦争ー 感想と妄想

※本記事はアギト超能力戦争及び関連作品のネタバレを含みます。

 

仮面ライダー生誕55周年を機に立ち上げられた3つの新レーベルの1つ、THE KAMENRIDER CHRONICLEの第一弾であるところの『アギト―超能力戦争―』が4月29日に公開されました。

他の2レーベルは具体的な情報が殆ど無い中で実質的に仮面ライダー生誕55周年プロジェクトそのものの第一弾を背負うこととなった今作について私は期待半分怯え半分という心持ちだったのでしたが、結果として満足して劇場を出ることができました。

 

そもそも『仮面ライダーアギト』という作品は私にとって平成(令和)ライダーの中でも一二を争う好きな作品です。

 

3人のライダーの物語が独立・並行して描かれる複雑なストーリーライン、それぞれ異なる系統でデザインされた3人(4人)のライダー、美杉家やG3ユニットの会話劇の軽妙さなど良さはいろいろあるのですが、個人的には何といっても複数の物語を並行させる手法が高次の完成を見ている点を挙げたいところです。

その後の平成ライダー(令和ライダー)でも『555』や『カブト』、『鎧武』、『ギーツ』などで群像劇スタイルへの挑戦が見られましたが私見では『アギト』以上に成功しているといえる作品はありません*1

 

だからこそアギトの続編がつまらないものだったらどうしようと上映前は不安にもなったのですが、その不安は私にとってはいい意味で裏切られたのです。

ただし私の満足感とは裏腹に今作には厳しい目が向けられています。納得のいくものからいちゃもん染みているものまで色々ありますが、そこからいくつかをピックアップしてストーリー上の不満点について自分なりの受け止め方を書いてみます。

 

 

葦原と木野

前述した様に私にとって『アギト』とは3人のライダーの群像劇なので主役の一人でもある葦原涼がほぼ出番なしだったことは痛恨事でした。

もちろん葦原涼を演じた友井雄亮氏がDV報道で芸能界を引退しているため彼の出演は難しく、従って葦原涼を見ることはかなわないとは知っていました。であれば次に考えるのは葦原涼の不在をどのように処理するのだろうという点です。

 

そのシンプルかつ有無を言わせない回答が「彼はすでに死んでいる」です。予告にたびたび映る頭部が損壊したギルスもまたそれを示唆しているようでしたが、私としてはこの回答を採用してほしくはなかった。

やはり葦原涼は傷を負いながらも生きていく男であってほしかった。「仮面ライダーになってしまった男」がそれでも日常をつかむ姿を見たかったという思いもあります。

 

一方で木場がオミットされていた『パラリゲ』と比べればよくやっているという感覚もあります。こちらも泉政行さんが逝去したために彼抜きの続編でしたが、あちらは木場については言及を避けていました。

作中でもすでに故人であるため木場の不在は無理からぬところとはいえ木場を避けて『555』の続編は無理でしょう。作品への好悪は別としてこれは言い続けます。

 

閑話休題

 

葦原について考えてみれば彼は本編中でも一度は死んでいますし、小説では「この後死んでしまうんだろうな」と予感させる幕切れになっていました。守るべき人を見つけ戦った結果死ぬのであれば受け入れる余地はあるのかなと思います。願わくは数年だけでも平穏な暮らしを彼が享受できていたことを。

 

メタ的な事情からも呑み込む余地のある葦原の死よりも視聴者を困惑させるのは木野さんの変貌でしょう。ダリナンダアンタイッタイ

25年の歳月が人を狂わせるのに十分な時間であることは確かですが過程を飛ばされてる以上豹変の印象は避けられません。

具体的に何が彼を変えてしまったのかは知る由もありませんが、自分一人がアギトであればよいとしていた25年前から全ての人をアギトにしようとする現在への極端な転向は、救世主志向でつなげます。

もし、どうしても悪役化が悲しいのなら来るべきより大きな災厄に備えていた螺旋王路線ということにしてあげましょう。

 

 

ギルアギトの処理

人間には違いないギルアギトを簡単に殺してしまうのはいかがなものかという問題。

 

超能力者たちが犯した罪を数え上げ、司法に委ねてもどの道死刑は免れないと言ってしまうのは簡単です。おそらくアメリカなら現場判断で射殺されるでしょう。

しかしながら『アギト』が他者との共存を扱っていた以上、その続編たる本作での安易な他者の切り捨ては不誠実と言われても仕方がないかもしれません。

 

TVシリーズとどこまでも地続きであるなら、ギルアギトに対してはやはり(ジオウでも存在を無視されていた)G5ユニットが鎮圧に当たるべきところでしょう。そしてギルアギトを無力化するべきでした。

 

なぜ超能力戦争時点でGユニットが廃止寸前の憂き目にあっていたのか考えてみると、いくつかの原因が考えられます。まずひとつは超能力者の数が少なくなっていたかもしれないこと。

 

25年前にあれだけ超能力者がいたなら現在はもっと増えていないとおかしいだろうというのはもっともなツッコミですが、生命の進化のスパンをまじめに考えるなら25年は誤差のようなもの。あかつき号事件以後の2年ほどが特異点でその後はアギトに至るほどのものはほぼいないか、あるいはアギトの会のような互助組織が機能していて表立った社会問題にはなっていないとしても無理はないと考えます。

 

あるいは榊亜希レベルの超能力者なら一般の警官でも複数人で当たれば対処可能ということかもしれません。アギトまで至るようなものは少ないもしくは皆無だったためG5は無用の長物とされ、徐々に立場が弱くなっていき予算も削られていったのでしょう(とはいえ尾室が出世しているので何らかの手柄を挙げたことはあったのかもしれません)。

 

ギルアギトの処理には反アギト因子という便利な設定があるのだからそれを使ってもよかったでしょう。

ギルアギトを無力化するために反アギト因子を塗付した銃弾を撃ち込む。アギト因子が中和され変身が解けたのもつかの間、苦しみだし絶命する。これならギルアギトが本質的には死人であること(オルフェノクの系譜)を分かりやすく提示しつつ人殺しの後味の悪さも大部分軽減できたのではないでしょうか。

 

なぜギルアギトが排除されるかですが、それは存在論的な理由ではありません。るり子もまたギルアギトになるのでギルアギトだから倒すという話にはならないようになっています。……であればるり子も通常のギルアギトと同じ見た目にすべきで、それができていないのは不徹底ですが*2

 

では何がるり子達とほかのギルアギトを分けたのでしょうか。本作では人間とは何かを描き、そのことによって逆説的に非―人間を描いているようです。その点については次項で。

 

自首エンド

自首をトンチキ扱いする人もいますが人の枠に踏みとどまることの表明であり、テーマ的にも筋の通ったいいエンディングだと心から感じられました。

 

井上敏樹や白倉伸一郎のファンは彼らの作品を総体としても見るという奇妙な習性をもっています。そこではコキュートス(ガンダムシークエル)はあかつき号であり流星塾などの発言が飛び交っています。

 

そのような観点から見たときギルアギトもまた井上敏樹が描き続けてきた怪人の系譜に連なるといえるでしょう。

キャリア初期の傑作『超光戦士シャンゼリオン』の黒岩省吾は限りなく人間に近い感性を持つにいたりました。それ故に正当な手続きで都知事にさえなった彼は人としての悪事を積み重ね、人として死にました。

現在も連載されている漫画版クウガにおいてはしばしば残虐なふるまいをするアギトと、時として感情移入をしてしまうほど人間らしいふるまいを見せるグロンギの境目がゆらぎ続けています。このように様々な角度から人と怪人を分かつものを描いてきた井上敏樹にとっても新境地ともいえるギャグとシリアスが混然一体となった素晴らしいオチです。

 

前項で持ち出した人とギルアギトを分かつものは、「他者からの言葉を受けて変われるかどうか」です。それは主に人の象徴である氷川誠を通じて描かれます。

 

まず、冤罪による収監を受け入れていた彼は津上翔一の言葉で脱獄の決意を固めます*3。ギルアギト殺しにも踏み切れませんでしたが、北條透の言葉で決意を固めます。いずれも人の言葉がきっかけです。

最後の自首の決断のみ自身の意志で下しますが、彼の決断は小沢をはじめとする周囲の人々に影響を与えるのです。余談ながらもう一人のキーキャラクターである葵るり子も氷川誠のふるまいを見て自身が抱いていた反発を乗り越えます。

 

一方でギルアギトは会話が極端に少ないです。それだけなら時間的な制約の面もあるかもしれませんが、彼らの振るう能力にも他者を拒絶するニュアンスがあります。

 

渋川は卓球に本来あるべきラリーを成り立たせない一方的な攻撃を繰り返す。速水は誰からも観測されることなく他者の感覚器を破壊する。鬼頭は子供と一緒に歌うべき歌を一方的に聴かせる。

改心した大山の透明化能力も本来は自己を安全圏に置く能力でしょう、そんな彼の変容が最後のテレポーテーションを可能にしたのかもしれません。     

黒谷の銃は不可視ですが銃自体の公権力との親和性が肝でしょう。るり子の能力には他者を拒むようなニュアンスは皆無です。

 

そう考えたとき木野が騙る人類の進化の最高到達点(行き止まり)にも別の趣が見て取れます。

 

ギャグシーンがふてほど(流行語大賞)

それは本当にそう。私は割と流せるタイプなので気にならなかったが人によってはほかのシーンの加点をすべて打ち消してしまうほど不快でしょう。

 

tyudo-n.hatenablog.com

*1:作品そのものの優劣ではなくあくまで群像劇の成否の話

*2:一瞬だけでもギルアギトに変身して、そこから進化することでトリニティギルアギトになる手順を踏むだけでも見え方がだいぶ違ったと思います

*3:氷川さんが収監を受け入れていたのは水城史郎を殺してしまったためではないでしょうか。彼を殺してしまったものの職務上の事故と見なされ罪に問われることがなかった。その経験が彼にいわれのない収監を受け入れさせていたのでしょう。

奔放不羈な闇鍋/和風ファンタジー『竜女戦記』に追い付いて慄け

『竜女戦記』(著 都留泰作)がどんどんすごいことになっている。

 

2020年に第1巻が刊行され、2026年4月現在で既刊7巻を数えるこの漫画は「このマンガがすごい!2021」ではオトコ編第5位に輝くなど現時点でも一定の評価を受けている。

一方で単行本書下ろしという漫画ではあまり見ない形態や、決してハイペースとは言えない刊行スピードが災いしてか届くべきところに届いていない感もあり、最近読み始めた一ファンながらそこにもどかしさを覚える。

 

読めば気に入るとしても知らないものは読みようもない。これは作品にとっても読者にとっても極めて不幸なことだ。

 

読む人ごとに異なる着眼点を持てる切り口の多さがあるだけに一人でも多くの読者の感想を読みたいのにネットには感想がほとんど転がっていない。こんなことは許されない。

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『子どもの頃のこわい話 きみの悪い話』『アホになって死んで後はカマキリの卵』

ここ最近立て続けに読んだ2冊の実話怪談集を紹介する。

蛙坂須美『こどもの頃のこわい話 きみのわるい話』(『こどもの』)と朱雀門出『アホになって死んであとはカマキリの卵』(『アホカマ』)だ。

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