はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

「僕が国語の教科書を編纂するとしたら」アンソロジー

国語の教科書が配られると真っ先にページをめくってどんな作品が収録されているのか確認していた皆さんこんにちは!鷹クラーケンです。

 

いきなりですが、今の高校生は大学入試の制度変更の煽りによって現代文の授業で物語に触れることがとても少なくなったそうです。

 

そしてそれは小中学生であっても同じだとか。

note.com

 

やけどするのが怖いので制度変更の是非については口をつぐみますが、山月記羅生門のような優れた作品に触れる機会を知らず識らずの内に失っている高校生がいると思うと悲しくなります。

 

そこで!今回は小説を中心とした国語の教科書を編纂してみようと思います!

新しい歴史教科書を作る会とは無関係に! (アンソロジー組みたいだけと違うんか?はい……)

 

教科書といっても小学生向けのものから始まって色々ありますがイメージとしては高校生に使ってもらう教科書です。そこを目指します。

 

「読み応えがあって面白い」小説を記憶から掘り起こして配列する作業を思うと既にワクワクしてしまいます。が、一息入れて教科書という体裁のための縛りをもうけます。多分実際の教科書ではもっとたくさんの制約があるのでしょうがこれはあくまで雰囲気を作るための制約ですのでここでは気にしないこととします。

 

・ページ数は472p(大修館書店の教科書に準ずる)とし*1、目次や学習の手引きについても考慮し450pを作品掲載に使えるものとする

 

・1pの文字数は600字*2とし、二段組みの作品や青空文庫から採録する場合などには600文字につき1pを割り当てることとする。

 

・論説文や詩など小説以外の文芸作品を一つは入れる

 

・長編小説からの抜粋は一度のみ認める

 

・性的描写を過度に忌避する必要はないが直截的な描写はなるべく避ける

 

・翻訳小説と初めから日本語で書かれた作品の区別は特にもうけない(スイミーも少年の日の思い出も外国文学だからね)

 

とりあえずこんなところでしょうか。じゃあ早速収録作品の紹介に移りますです。目次は最後に掲載します。

 

 

 

魔術師(約40p) 小川哲『嘘と正典』

トップバッターは「地図と拳」で先日直木賞を獲得した小川哲の小説。高名なマジシャンである語り手の父が人生の最後に見せたマジックとは何だったのか、同じくマジシャンとなった姉が最後に見せたマジックとはなんだったのか。

ごんぎつねや羅生門などの「この後どうなった系教科書作品」の衣鉢を継ぐ作品としての資格が十二分にあると思う。マジックショーの鉄則に則って書かれた超絶技巧の小説は読書嫌いの子供をも引き込んでくれるはずだ。

 

 

権現の踊り子(約37P) 町田康権現の踊り子

町田康の書く小説は饒舌な語りが凄まじくてギャグ小説のようだけどその展開する思考や周囲との会話の中に「人間の本質」みたいなものが入っている気もしてよく分からないなりに圧倒的だ。この「権現の踊り子」では権現の市へ出かけた男が成り行きによって内輪につらく当たり外部には腰が低くなる男にアドバイスを求められ、二進も三進もいかなくなってしまう。

先ほどの流れを継いで読みやすい小説を選んだつもりだ。好き嫌いが分かれるという話もあるが是非読んでほしい。

 

 

或る一日(約32P) 石黒達昌『日本SFの臨界点』

放射線に汚染された戦地で死に怯えながら子どもの治療に当たる医師の生活が淡々とした筆致で描かれる。生々しいのにどこか現実味を欠いてみえる文体はこの小説に寓話のような雰囲気を纏わせることに成功している。「或る一日」というタイトルに反して広い普遍性を持った作品として読めると思う。

 

 

崖(約54P?) 梅崎春生桜島 日の果て』

年齢のために軍隊での落伍を決定づけられた男は徹底的に落伍し、懲罰の苦痛を引き受けることで抵抗を試みる。人を人として扱わない場所で人として振る舞うことが滑稽さを帯びてしまう凄みとか彼と彼を見つめる語り手の愛憎半ばする奇妙な友情といった感情を揺さぶる要素が短い中にいくつもある好短編だ。

山月記に代わって高校生の思春期ハートを打ち抜いてくれ。

 

 

三中信宏『分類思考の世界』(124~139P)

三中信宏の著書を読むと科学の営みは「データによって真実を求める」といったナイーブなものではなく科学史や科学哲学といったツールで自己の立ち位置をしっかり見定めなくてはいけない極めてシビアな営みであると繰り返し納得させられることになる。

こんなことを書くと「何だか大変そう」と感じるかもしれないがむしろ逆で読むと「勉強しないとな」という意欲がわいてくる。私が実際に勉強したかは脇に置くが、そうした文章が教科書にはあってもいい。

 

 

 

ここで私は謝らなければなりません。私はこの文章の序盤に本アンソロジーに課す諸条件を列挙しました。しかしそれは不完全な物だったのです。といっても嘘をついたわけではありません。明示こそしていないけれど私と読者の方々できっと共有できている条件を無意識に省いてしまっていたのです。

それが「既に教科書に採録されている作品は採用しない」という条件です。しかし、これだけは収録させてください。

 

セメント樽の中の手紙(2648文字≒5p) 葉山嘉樹

掌編といっても良いほどの短さながら読む人に鮮烈な印象を残さずにはいられない名作。青空文庫にも掲載されているので教科書で読んだことがない人にも読んでいただきたい。

www.aozora.gr.jp

ということで既に教科書に掲載されている作品だが(全ての教科書に載っているわけでもないし)こちらの作品も私の教科書に載せたい。

 

 

第四の手紙「武勲赫々たる五十日戦争」(128p) 大江健三郎 『同時代ゲーム』より 

長編からの抜粋を入れるといったは良いがどの作品のどこからどこまでを収録すれば良いか考えると途方に暮れてしまった。まず考えたのは全体から切り離されても分かりやすいまとまりを持った部分を切り出すという方法でこの方法を採るなら『悪童日記』あたりを頼ることになっただろうが、どうせ長編を使うなら短編では出しづらい広がりを持った作品を使いたいと考えを改めた。

同時代ゲーム」はその点をよく満たしてくれる上に、日本という国を相対化している点で教科書に相応しくなく却って面白いのではないかと思った。

 

 

ママ(約13p) ルシアベルリン著 岸本佐知子訳『掃除婦のための手引き書』

日本の伝統的な私小説とは異なるが彼女の小説も自身の人生に材を取った点で私小説と呼べる。小説のネタ元は子ども時代から老年期まで幅広いが、その中でも繰り返しスポットライトを当て続けられている経験がある。母と妹の看護はそんな経験の1つだ。この短編はルシアベルリンの小説の中でも屈指の鮮やかな幕切れが忘れがたい余韻を残して控えめに言っても傑作だ。

なお彼女の小説はその特性上まとめて読むことでの相乗効果がとても大きいので是非短編集を手に取ってほしい。

 

 

夜の、光の、その目見の、(46p) 空木春宵 井上雅彦編『異形コレクション 狩りの季節』より

誰にも止められなくなるぞ……!!!活躍するこの作家を!!!(赤髪のシャンクス)ということで「今一番応援したい作家」空木春宵の作品から「夜の、光の、その目見の、」を採った。

美しさと残酷さで弱者の悲鳴をすくい上げるような作品は唯一無二の面白さを生みだし続けている。「夜の、光の、その目見の、」でも作風は遺憾なく発揮されていて「この作品と作家がスターダムにのし上がれないとは何事か」と地団駄を踏みたくなるほどだ。

 

同人時代の作品をまとめて出版する計画があると聞いたので今は実現をひたすらに待ち望んでいる。

 

 

鬼気(約37P) 京極夏彦『鬼談』

長編作家として認知されている京極夏彦だが実は短編もそれなりに書いている。その中でも代表的なのが「談」シリーズだ。これは怪談を書くように乞われた氏が「私に怪談を書く技量はないですが、似て非なる物ならやってみましょう」(大意)と言って始めたシリーズで順を追って読んでいくと作者の技巧が徐々に研ぎ澄まされていく様子が分かる*3

シリーズの中でも特に恐ろしい作品がこの「鬼気」だ。何が恐ろしいのかと問われてもよく分からない。とにかく恐ろしいのだ。授業を通して読み込む中で憑き物は落ちていくのか、それとも殖えてしまうのだろうか。

 

 

外交官の娘(約36P) シャネルベンツ著 高山真由美訳『おれの眼を撃った男は死んだ』

ナターリアという女性の人生が断片的に描かれるこの作品は一読では理解しきれないほど複雑な構成をとっていて、その読み応えはラスボスといってもいいでしょう。この一年間で鍛えた読解力を武器に思う存分立ち向かってください。

 

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総計 約444p

 

 

 

終わりに

思ったよりも掲載できる作品が少なくて非常に困らされた。教科書が本当に短い短編を使っていたのか教科書のボリュームを間違って見積もっていたのか分からないが泣く泣く切り捨てた作家や作品がいくつかある。その中でも特に断腸の思いで切り捨てたのが松浦理英子だ。特に『最愛の子ども』は長編だが全編まるごと入れてやろうかと思ったことも一度や二度ではない。

それでも自分ではまずまずの教科書を作れたのではないかと思っている。

*1:この記事のために現代文の教科書のページ数を調べてみると240p~310p程度の物が多く大修館書店がなければこの記事も頓挫していた可能性が高い

*2:手元にあった古典の教科書が16行×35文字で560字、現代文は註が少ないのではないかと考え16×40の640字に。改行や字下げときりの良さを考慮して600字に設定した。はっきり言って全然厳密じゃない。

*3:単に私のチューニングがあってきただけという可能性は大いにある