はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

2022年上半期の本ベスト10

 

私の名は赤

西洋文化流入するムラト三世治下のオスマントルコ帝国、細密画(イスラム教圏で描かれる物語に材を取った画)師が挑む国家事業としての写本製作とそれを巡って起こる殺人事件についての話。こんな風にまとめると「推理小説か」と納得する人もいそうだが、読んでみると受ける印象は大きく異なってくる。

「藪の中」のような多数の語り手が章ごとに語り手を務める手法によって物語は絶えず他者の声を相対化しながら進むからだ。語り手は各々の関心事を語るので写本製作も殺人事件も物語の絶対的中心にはならない。

 

ところで複数の語り手が関心を示すトピックに「芸術は模倣のなかに生まれる(細密画)のか、それとも個人の創造力のなかで生まれる(遠近法・西洋画)のか」という対立軸があるんだけどこれは「鉄鼠の檻」で今川が語っていた工芸品と芸術の話に非常に近しい物があると思う。そして鉄鼠の檻とよく対比される作品に「薔薇の名前」がありこちらはキリスト教世界ならではの殺人事件を描いている。

なんとなくお互いに関連し合っているような印象のある三作品を読み比べてみるのも面白いかもしれない。

 

 

アーサーマンデヴィルの不合理な冒険

すぐに読み終えてしまうのが惜しくて毎日寝る前に一章ずつ読み進めていた。すぐ読み終えたくなかったし、作中の旅と歩調を合わせたいとも思った。

今回は旅小説としての魅力に絞って紹介したい。行き先で出会う異様な習俗は勿論大きな見所だ。加えて、地道に一歩ずつあるくことで自分自身でも思いもよらなかった場所まで自分を運んでしまう「旅の不思議さ」が存分に描かれているのが素晴らしかった。

狭い庭のなかで自分だけのコスモを作ることに腐心していたアーサーが偏屈さや苔植物を愛する心はそのままに異国での定住を決意する。メイドインアビスの上昇負荷ではないがある程度まで遠くへと旅してしまえば元いた場所に戻ることなどできないのかもしれない。いつの間にかもたらされる変化のダイナミズム。

以前紹介した通りユーモア小説でもあるので森見登美彦作品の味が好きな人にもオススメ。

以前書いた感想はこちら

 

イスラム教世界とキリスト教世界の一方が他方に脅威を感じた時代の話として「私の名は赤」と対比させることもできる(特に実りはなさそうだけど)。

 

 

木製の王子

比叡山の麓に隠棲する白樫家で殺人事件が起きた。被害者は一族の若嫁・晃佳。犯人は生首をピアノの上に飾り、一族の証である指輪を持ち去っていた。京都の出版社に勤める如月烏有の同僚・安城則定が所持する同じデザインの指輪との関係は?容疑者全員に分単位の緻密なアリバイが存在する傑作ミステリー。

 

振り返ってみると上半期は麻耶雄嵩作品を結構読んでいた事に気づく。「鴉」や「貴族探偵対女探偵」……どれも楽しめたのだが私が一番面白いと感じたのが木製の王子だ。

 

事件の概要とその不可解さは冒頭数ページで説明されるのだがそこで時系列が過去に移り、自身の出生の謎を追う雑誌記者や、過去の未解決事件、烏有の結婚の話が延々と続き再び事件の話に戻るのは191P(講談社文庫版)とかなり遅い。しかしながら冒頭に提示された謎によって飽きることなく読み進めることができた。

 

素人探偵の推理合戦を経て木更津悠也がアリバイトリックの真相を見破るが、本当にすごいのはここから。麻耶雄嵩特有の強烈すぎる真相には思わず呆然。トリックを可能にした陰惨な背景は現実的にはあり得ないがだからこそおもしろい。

ところで、烏有くんの(銘)探偵物語、構想すらないとはさすがに考えがたいんだけど、読める可能性が限りなくゼロに近いので悲しい(限りなくゼロに近い数値……無限大!)(それ言ってるのミサトさんだけなんスよ)。

 

 

ヒカリ文集

人の気持ちを細やかにくみ取り、相手が喜ぶように振る舞ってしまうため、どうしようもなく人たらしになってしまう賀集ひかり、彼女がいなくなってから20年ほどたってかつて彼女と付き合っていた男女が思い出を綴る。

人と関わるときに「もてなし」の仮面を外すことができないひかりは加害者でもあり被害者だ。

そんなひかりの「恋愛」は決して長くは続かない。しかし、時を経て彼女を思い返すかつての恋人の言葉は懐かしさに満ちているし、彼女との時間は財産であり続けている。永続的なつながりを持てなくても何かが残るというのは救いのようでもある。

 

登場人物が全て仮名であると断られている点や主な舞台が小劇団であることで真実が宙吊りにされている上に魔性の女ファムファタールを扱った諸作品への言及もあり油断ならない作品と言えるだろう。深読みを誘ってくるようだ。

松浦理英子の新作を刊行直後に読めてよかった。

 

 

おれの眼を撃った男は死んだ

物語の形をとった十発の弾丸という趣がある。

奴隷制度廃止以前のアメリカを扱った作品があれば中世イギリスを扱った作品があり、死の間際に少女の脳内を駆け巡る回想があれば架空の小説とその脚注もある、と一本ごとにスタイルもシチュエーションもがらりと変わっている。共通するものを抜き出せるとするなら、人間関係の力学のようなものがむき出しになっている点だろう。

後半はそこまで楽しめなかったんだけどそれもこちらに読み取る力がなかったんだろうなと思える程度には前半で形成された信頼の蓄積が大きい。未訳の長編も是非翻訳していただきたい。

 

 

第七官界彷徨

少女小説というジャンルがあるらしい。少女向けに書かれた作品を指すのか、少女を描いた作品を指すのか、言葉からは判然としない。だが、もし第七官界彷徨のような作品ばかりが集まったジャンルだったらとても素敵なことだ。

 

未来を夢見る時期にのみ許された明るい苦悩が独特の空気を生んでいる。主人公・町子が夢見る第七官(肉体的な五感でも第六感でもない感覚)というのもすごく観念的な概念で、そうした観念が言ってしまえばひどく動物的な恋愛感情と混ざりあう。上でも少し触れたがこうした世界との関わり方はいつまでも続くものではなくて、だからこそ尊いのかもしれない。

 

 

Zの悲劇

この上半期はエラリー・クイーンの悲劇四部作を読んだ半年間でもあった。名作と呼ばれるだけあって(多少古びて見える部分があるにせよ)どれも面白かった。その中からZの悲劇を選んだのは圧倒的な消去法推理に度肝を抜かれたからだ。

 

批判されがちな新しい語り手のペイシェンスも悪くないと思う。

私以外でこれを言う人がいないので私の勘違いなのだろうがエアロンの死にどことなく怪しさを感じた。レーンの影に隠れてから死ぬまで描写がないし、死についてもあっさりと流され過ぎていてドラマ上の効果があるとも思えない。彼を殺すメリットも大義名分もないんだけどなんとなく不穏。

 

 

歪んだ創世記

全ては何の脈絡も無く唐突に始まった。過去の記憶を全て奪われ、見知らぬ部屋で覚醒した私と女。
舞台は絶海の狐島。3人の惨殺死体。生存者は私と女、そして彼女を狙う正体不明の殺人鬼だけ……の筈だったのに。この島では私達が想像もつかない「何か」が起こっていたのだ。
蘇る死者、嘲笑う生首、闊歩する異形の物ども。あらゆる因果関係から排除された世界──それを冷たく照覧する超越者の眼光。
全ては全能の殺人鬼=<創造主>の膿んだ脳細胞から産まれた、歪んだ天地創造の奇跡だった。
そして……「ここはどこなの」女が存在しない口唇で尋ねる。「分からない。でもここにはあいつの邪気がない。あいつの手の届かない世界らしい」存在しない口で私は答えた。「あいつはもう2度と現れないの」彼女の不安気な問いに、私が頷く。女は存在しない男の顔を怪訝そうに覗き込んだ。「結局、あなたは誰だったの」「君は一体、誰だったんだい」私は揶揄(からか)うように問い返した。そんな事はもうどうだっていいじゃないか。もう何も彼も終わったのだから。
……だが、まだ終わったのではなかった。真犯人はそれを知っている。本当の終焉はこれからなのだ。

第六回メフィスト賞受賞作。

 

メフィスト賞らしい壁本スレスレのアイデアだが、そのアイデアをぶん回す中で本という媒体をフルに生かし切った点は客観的に見ても優れているのではないか。フェアもアンフェアも無いように見えて、手がかり自体は結構提示されているのでミステリとしても再読にも耐える本だと思う。

やっぱメフィスト賞のとがった作品は読んでみないと分からないと痛感する。Kの流儀フルコンタクトゲームも一度読んでみたいんだけどこれは本当に希少な本なので厳しいかな……。

 

 

蒼海館の殺人

ミステリにおけるシリーズものではレギュラーキャラクターの内面や関係性に大きな変化が起こらないと一般的には言われている*1。だがこのシリーズでは探偵と助手は事件と自然災害による二重の危機の中で大きな変化を迫られ続ける。

 

今作は成長のターンとでもいうべきで、「紅蓮館の殺人」で名探偵の存在意義に関わる挫折を味わった葛城と彼を支えることができなかった田所が事件を通して存在意義を再び獲得する。

 

蜘蛛に例えられる真犯人の巧妙な策略は、作品そのものの構造を強靱にしている。ある程度まで見破られることを想定して幾重にも張り巡らされた罠は探偵のみならず読者にも一部が見抜かれることが折り込み済みなので最後の真相に到達することは極めて難しい(そして私は一部の仕掛けを見抜いてしてやったりと思っていたカモ)。

こちらは続編も期待できるので楽しみ。

 

 

崖っぷち

世界は最悪だ。自然は人為によって損なわれるし、人為は初めから損なわれている。殖え続けるくそったれの気狂いレンドンの血を見れば気分が悪くなるに決まっているが、俺は弟を看取るために世界の癌であるあの家に戻らなくてはならない。

 

……なんていうか、本当にこんな感じなんです。ストーリーを追うより語りの過剰さを感じるべき。

汚泥に手を突っ込んでこちらに投げつけてくるような痛烈な語りが片時も休むことなく続く。こちらも真っ正面から受け止めるべき。

*1:諸説あり