はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

バルカン&バルキリー感想のようなゼロワン総括のようなバルバル感想

「『賛否両論』って語感から言えば賛否相半ばのようだけど、実際用例を見ると賛の意見は精々三割くらいだよね」
先日こんな話を聞いて納得したのだが、これでいうと仮面ライダーゼロワンは賛否両論の作品だったと僕はまとめたくなる。僕自身の感想という意味でも観測範囲の感想という意味でも。


といっても初めからこのような否定的態度で見ていたわけではない。
製作発表時には「令和」とデジタルの二進数をかけたネーミングに好感を持ったし、新時代の一号なのでバッタモチーフというのも少々ベタすぎる気もしつつその気負い方を好もしく感じていた。


なによりジオウ(OQ)の熱にあてられていたのが大きく、
tyudo-n.hatenablog.com
平成ライダーの地続きではない新しい物を見られるような期待を我知らず抱いていたようにも思う。
そして第一話、人を笑わせるという思いとは真逆の行為を強いられた腹筋崩壊太郎の悲劇に心を掴まれた。


おそらく一番初めに引っかかりを覚えたのは2話の終盤、マモル2号機の腕に巻かれていたハンカチ(バンダナだっけ)を見たときだ*1
「ヒューマギアは個体毎にシンギュラリティを迎えるのに或人社長は同型機を同個体のように扱っている」
恐らく当時の僕はこのような言語化には至っていなかったがそれでもこれに近いことを感じていたはずだ。


公式サイトかTwitterでこの演出がマモル役の俳優発だったことを知った僕は「うーん。でもライダーってそういうとこあるよね」
と軽く流してしまっていた。エグゼイドの高橋悠也ならこれをテコに何か面白いことを言ってくれるかもしれないじゃん、ねえ。


その後「大和田伸也」や病院でのヒューマギア一斉シャットダウンなど微妙な引っ掛かりを残しながらも物語はテンポよく進んだ*2


引っかかりではすまなくなった個人的ターニングポイントは16話「コレがZAIAの夜明け」、或人は迅を倒しながらも断罪はせずラーニングに責任を負わせた。機械を対等に見ているようで見ていない、ドライブのモヤモヤの再演じゃないか。

実際のAIについて科学者や法学者がどう考えているかは知らないけど、責任を負う主体になり得ないならキャラクターとしては生殺しに近いと感じた。


ちなみに前の回である15話ではイズが迅を煽るような台詞を言ったことでゼロワンから気持ちが離れた人が一定数いるようで、周囲の反応もこのあたりから雲行きが怪しくなっていった覚えがある。


お仕事五番勝負以後については駆け足で行こう(いつまでたってもバルバルの話をできないので)。

555とのコラボTシャツ、拡散するアーク概念、サウザーの衝撃的な改心、イズ2号機etc.
特にコラボTについては、月とすっぽんを堂々と並置していることに頭を痛めたし今でも思い出すと少しむかつく。

プレバンのあり方を巡っても改めて議論が紛糾していた。万丈のボロボロTシャツなんかも売られていたわけだからこれはゼロワン固有の問題ではないけどね。


「悪意だなんてフワフワした言葉で人間についてなにか語っているような顔しないで?」
「夢夢夢夢うるさい!」
「マギア化についてはハードを製造する飛電インテリジェンスの問題でしょ*3
「そもそもゼロワン世界におけるヒューマギアの浸透度ってどんなもんなのよ」
「それは特定職業へのヘイトでは???」

ゼロワンへの怨嗟、書き連ねると切りがねえな!!


でもって映像作品におけるフィナーレであるバルバルはどのような幕引きを見せたのか。

だがまずは「滅亡迅雷」から振り返る必要がある。
パッケージこそ分かれているものの実質的にバルバルと前後編をなしているからだ。

この作品はZAIAの兵器産業に利用されるヒューマギアという本編ではあまり触れることのできなかった要素に触れている。


先ほどは「ヒューマギアの個体の個別性を無視しているようで引っ掛かりを覚えた」というようなことを書いたが、ヒューマギアは滅亡迅雷などの例外を除けば衛星ゼアによって一元的に管理されている存在であるというのもまた事実。ヒューマギア兵士ソルドは管理を極端に推し進め、全ての行動をマスブレインシステムによる合議で決定するため軍隊として安定したパフォーマンスを発揮する。


ZAIAのCEOリオンアークランドの手で迅は、徹底した個の抑圧であるマスブレインシステムに取り込まれる。「滅亡雷」が彼を救うためにシステムに入り込み、システム内における二つ目の統一された意思体となることで(憶測)、内側からエラーを起こす。


ここは彼らのテロリストっぽさが表れていて好き。テロリズム賛美とかじゃなくってキャラクターの属性に嘘をついていない点で。

アークランドが変身する仮面ライダーザイアと対峙する滅亡迅雷.netは一度は追い込まれるも、仮面ライダー滅亡迅雷になると兵器産業に弾みをつけるための人類共通の敵という役割にふさわしい強さでザイアを退ける(ここら辺は特に細部の記憶が抜け落ちている)。


ヒューマギアの解放のために再び立ち上がろうとする迅への態度を決めかねる滅と不破との対話は不破が傍観者の立場に置かれる「滅亡迅雷」単体の中では収まりの悪い位置にあるが、バルバルへの布石として非常に重要だった。


ふっきれたように再び変身した滅亡迅雷は、アークランドの意思を越え仮面ライダーザイアを倒し、ザイア日本支社を倒壊させてしまう。
「結局は暴走してしまう仮面ライダー滅亡迅雷もクライマックスフォームのような文脈で捉えるよりは、個が集団に飲み込まれる気味悪さで捉えた方がいいんだろうな」
バルバルを見る前の私はそんな風に考えていた。
アークランドの「悪意には歯止めを利かせられるが正義には利かない」という発言もそれを後押ししているし。

これでようやくバルバルの話ができる……。
滅亡迅雷のラストの直後、ヒューマギアが再び逆風を受ける。この後の話を先取りする形にはなるが国防長官が「国民の総意」の名の下にヒューマギア排斥を謳うほどなので描写されていない部分で様々な衝突が起きている物と思われる。

Vシネであり尺の問題があるから仕方ない部分はあるんだけどこうした状況への社会の反応が人間の物だけなのはもったいないと思っていて、従来のヒューマギアがソルドをどう見るのか、さらにはコミュニケーションを取るのかまで踏み込むとSFとしては厚みを感じられそうだった。


今回少し興味深かったのがマスブレインシステムが破壊され自分の意思を持たざるを得なくなったソルド9と20が袂を分かった点。(ほぼ)共通のラーニングを受けていたはずのソルドが異なる意見を持つというのは、ヒューマギアのソフト面の進歩なのかそれとも或人社長のヒューマギア観に不正確な部分があったのか、いずれにせよ僕の好みに近づいている描写だった。


サーバルタイガーで滅亡迅雷を撤退させた唯阿の話を聞いた不破は気づく、彼女だけを狙うことで滅亡迅雷は被害を最小限に食い止めながら不破に破壊されようとしていたのだった……。
これは流石に自分が何か思い違いをしているんだと思いたいが、唯阿だけを狙う自制心があるなら天津が辛くも難を逃れた社屋爆破も意図的な物だったの???
だとするとREAL✕TIMEでの天津の「これから仲良くなればいい」が一蹴されてしまったようで結構悲しい。


ラストバトル、不破は或人の後押しでゼロワンドライバーを使用できるようになり滅亡迅雷を倒すも、目から血を流し(!)一人倒れ込んでしまう。
回想では不破と滅亡迅雷の間にも色々あったなという気分にさせられた。迅とも映画で悪友感出してるの好きだったよ。
雷との回想は初対面の場面だったけど途中退場の時期も長いから仕方ないかなと言ったところ。


国防長官の記者会見の場にすげーしれっと破壊されたはずの滅亡迅雷がいて「えぇ・・・、見つかったらまた無用な混乱招くじゃん・・・」と思ったら光の中に消え……納得したのもつかの間不破もまた消えていったのは正直結構なインパクトがあって*4エンドロールでは余韻に浸ってしまっていた。
劇場にいた子供がヒエッヒエで悲しくなりましたよ。


バルバルで繰り返し語られていたのが「多数派の意見が必ずしも正しいとは限らない」と言う言葉。
言葉にすれば簡単なことだけど、現実、何かしらの組織に属していればたいした議論もせずに雰囲気で多数決になだれ込む光景なんてありふれている。
周りの空気に流されず正しさについて考えるのは簡単なことではないのだ。


そんな観点から二人の主役を見てみる。
滅亡迅雷.netには心があったと「国民の総意」に異を唱えたユア(世間からはテロリストをかばったように見える)は、公務員として人の命を守る正義を貫けるのだろうか。組織の中に身を置くならば今後は茨の道を歩むだろう。

元々単なる道具としてヒューマギアを見ていた刃が、天津による抑圧を受けた期間を経て機械の心の存在を叫ぶのは本編の流れからも自然でよかった。ヒューマギアの心の存在が或人によって頑なに主張されることで却って疑わしく見える問題がなければなおよかった。


本編での紆余曲折を経てどの組織にも属さなくなった不破は愚直に己が信じた正義を追い求める。かっこいいのは確かだが危険人物すれすれだ。
本編でも自身が拠って立つべき過去がねつ造された物だったり過酷な道をたどっていたが、その後も決して楽をできる境遇ではなかっただろう。くだらないギャグで笑える暮らしを望みながらも戦いの中に身を置き続けるしかない男。そう思えば今回の顛末も一種の自死と捉えられる。


それぞれの正義を貫け、みたいな話をすると結局一人一派のように終わってしまった本編も活きてくるような気もする。し、こういう「ものは言いよう」をふてぶてしくやってくれるのが高橋脚本の良さの一つだったなと懐かしく思い出した。


一方明確に退場した滅亡迅雷は未来への礎となった訳だけど、メタ的には過去の落とし前をつけさせられたようにも見える。
いくら改心したとはいえ天津垓も過去の所業を見ればかなりの悪党でもあるわけで、生きて罪を償うという役割を全うできるのかにわかに不安に駆られてしまう。


ヒューマギアと人類の溝がさらに深まったゼロワン世界の今後にあまり明るい見通しを持てないんだけど、ドライブで自主的に技術の凍結を選んだベルトさんや、ゼロワン放送後の座談会で「夏映画では人類を滅亡させるつもりでした」と語っていた大森Pの発言を考えるとこの後味は制作陣の意図していた物からそう外れていないんじゃないか。


ビルドの小説の後になるであろうゼロワン小説もなんのかんのといいつつ首を長くして待ってます。
ほな、また……

*1:ゼロワンの名誉のために言うならば作品の序盤に疑念を感じることは決して珍しいことではない

*2:平成二期以降、クリスマス商戦に伴って序盤に新商品ラッシュをかけざるを得ないの良し悪しですね

*3:リアリティライン低めに取っている作品なら気にならない範疇だけどこの作品で社長である主人公がスルーするのは違和感がある

*4:今までのVシネマでは本編のネームドキャラの死亡を描かないというのが不文律になっていて、唯一例外があるとすればゴーストにおける高岩さんが演じていたキャラ(ジャイロだっけ?)ぐらいなんだけど、不破は死亡確定こそしていないが、演出は彼の死か重篤な状態を示唆していた。