はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

ドンブラザーズにおけるモノローグと代替可能性

ドンブラザーズがハチャメチャに面白い。なので敬意を示す意味で「私はこの物語をこう見る」という話をしておきたい。先日最近の若者は作品に対して考察をしたがらないという話を見たばかりなのでカウンターとして考察を名乗りたい気持ちもあるのだが*1全話しっかりと見返したわけでもないし控えめにしておく。

 

どこを切り口にしていこうかと考えたときに、まず気になったのは演出面で目を引くモノローグの多さだ。鬼頭はるかから始まって、全てのメンバーがモノローグによる語りをしばしば行っている。それは自己紹介を兼ねた状況説明だったり、異様な状況へのツッコミやリアクションだったりする。

 

こうした演出を見ると互いの正体を知らないところから物語が始まるので会話を作りにくい事情などが察せられるが果たしてそれだけのことか。

ノローグにはどのような特徴があるか考えてみる。

一つには、登場人物と視聴者の間で存在する言葉であることが挙げられる。

 

たとえば3話Aパートの猿原真一の自己紹介、独り言や知り合いに向けた言葉ならば違和感があるが、モノローグであれば視聴者も自分達に向けられた言葉だと了解できるので違和感なく聞ける。聴衆を意識した言葉になると言ってもいい。

 

一方でキャラクターからすれば、視聴者を意識することはできないので、生の内面をさらけ出していることになる。通常の会話とは異なり虚偽が入り込む隙はない。

そのため、時には口に出しては言えないような率直な思いも引き出され、表向きの反応とのギャップが笑いにもなる。

 

ここで主人公であるはずの桃井タロウのモノローグが滅多に聞かれないことが意味を持ってくる。

 

タロウは嘘をつかず、内面と表層との区分が人よりも薄いためモノローグを必要としないのではないか。質問に対しやや外した答えを返すこともあるし、思ったことを全て言うわけでもない。それでもじゃんけんで出す手を問われてそのまま真実を答えてしまうというのはやはり常人とは言いがたい。

 

「それがお前の愛の言葉なのか?」「笑い方はこれでいいのか」などと不気味なまでに率直にものを言う脳人にモノローグがないことと結びつけてみても良いかもしれない。

追記:12話でソノイもモノローグで語っていた

ちなみにドンブラザーズと脳人に次ぐ重要人物と思われる五色田介人は「きじみっかてんか」のラストでモノローグのような言葉を発するのだがそこでは口元がパソコンによって覆われてしまい、独白と言いきれなくなってしまっているのだ。ここについては見返して確かめたのだがこの曖昧さに気づいた瞬間に声にならない叫び声が出てしまった。

 

 

ところでドンブラザーズでは、暴太郎もといアバターが重要な要素になる。歴代の戦隊の姿に変身できる能力もアバター要素の一つと見ていいだろう。敵であるアノーニも普段は人の姿を取って社会に潜伏している。ドンブラ世界では内面と外見が切り離され一対一の対応関係を失ってしまっていると言えそうだ。

 

切り離されているものは他にもある。

1話ラストの桃井タロウを探して老人や犬が反応するシーンはギャグチックだが、名前とそれが指し示す対象物(小難しく言うとシニフィアンシニフィエ)の乖離や、「俺こそオンリーワン」へのアンチテーゼなど様々に想像をかき立てる。

ポイントによる脱退とメンバー交代がシステムに組み込まれるためヒーローの役割すら絶対ではなく代替可能なものとして描かれている。

 

内面/表層(振る舞い)、名前/対象などの結びつきには必然性がないことを前提にした極めて流動的な世界が広がっている。

 

 

「代替可能である」とは裏を返せばオリジナルが存在しないということだ。ここを踏まえてみると1話から描かれている鬼頭はるかの盗作疑惑は非常に示唆的といえる。さらにお金を仲立ちすることであらゆるものの交換を可能にする装置と見れば、それに触れない猿原真一という男はやはり面白い男である*2

 

ドンブラザーズについて考えるときは、どうしても井上敏樹に引きずられてしまうのだが、この代替可能性については白倉伸一郎つながりで仮面ライダーカブトが参考になるのではないかと思われる。

 

 

 

このような世界でどのようにして桃井がオンリーワンになっていくのかが気になる。希望的な観測なのだがその鍵になるのが「縁」や「関係性」なのではないか。お供達に「桃井タロウ=ドンモモタロウ」を承認される桃井タロウを見たいという個人的な思いもある。

 

ヒーローとは日常では人々と共存できない異質なもので、悪を排除したあとは速やかに立ち去るべきという井上敏樹の美学は有名だが翔一君は日常に帰れたわけで桃井タロウにも彼を受け入れてくれる相手が、その関係性をどう呼ぶかは別として、いてくれればいいなと思う。

 

おまけ

ヒトツ鬼についてはまだまだ分からないことが多すぎてなんともいえない。それでも今のところ人が自然現象に近い形で変異を起こしているように見える。アバターに引きつけて考えるのなら欲望にふさわしい姿に外見が引っ張られているともとれる。

*1:最近の若者の定義を自由に拡張していくスタイル

*2:というか「真」「一」という並びも意味深に見えてくる