はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

ハイパーインフレーションを読んだ

きわめて短い間に物価が急激に高騰する激しいインフレーション超インフレーションハイパーインフレともいう。経済学者フィリップ・ケーガンPhillip D. Cagan(1927―2012)による定義では「インフレ率が毎月50%を超えること」であり、国際会計基準の定めでは「3年間で累積100%以上の物価上昇」である。そのおもな原因としては、政府による貨幣国債手形の乱発があげられ、とくに歳出戦費のために大量に紙幣を印刷したことで通貨価値が暴落することが主因とされる。

日本大百科全書コトバンク掲載)より

 

呼んでいると頭の中の小学生が「お前エロじゃん!」と叫び出すけど面白いんだからしょうがない系漫画ハイパーインフレーションの感想です。

 

まあ……小学生じゃ分からないかこの領域の作品は。

 

この漫画の艶めかしさは主人公ルークの双肩にかかっている。比喩的な意味においても字義的な意味においても。

生殖能力を引き換えに紙幣の創出能力を得たことから考えても第二次性徴を迎えることはないであろうルークが小生意気にも見せる肩のラインは*1たとえ描かれていなくても肌と肉の下に確かにある華奢な骨を想像させ、比較的簡素に見える絵の中で不思議な存在感を以て好事家の眼を吸い寄せるがこれは全くの想像で僕の、実感は、かけらも、こもって、いない。

 

しかしまあどのような属性が魅力的に映るかというのは人それぞれなのだからこの点は見てもらって実感していただくしかないだろう。

 

ということでこの記事では専ら「面白いんだからしょうがない」の注釈に努めたい。まずはベタにあらすじ紹介から。

 

19世紀のイギリスを思わせる架空の国ヴィクトニア帝国で被差別階級に生まれた(美)少年ルークがひょんなことから紙幣を生み出す能力を手にいれ、能力を利用しようとする悪徳商人グレシャムや能力を危険視する帝国スパイレジャットの思惑に翻弄されながらも奴隷の身に落ちた姉を救出するために知恵とお金を振り絞る。

 

まずルークの能力の設定が面白い。1日に1億ベルク(1万ベルク札10000枚)という大量の紙幣*2を刷るルークの異能は本来であれば経済戦争においては無敵の力を振るうチートなのだが、紙幣番号が全く同じという致命的な欠陥がある。

この欠陥がハイパーインフレを巡る頭脳バトルを成立させるのみならずバトルに紙幣番号という軸を生み、見易さと面白さが格段に向上する。丁々発止の頭脳戦は単体でも魅力的な漫画を生み出すのに十分なのだが、ハイパーインフレーションはそれだけに留まらず、ここに肉弾戦を重ね、しかも双方を有機的に絡み合わせている。

 

登場人物にとっては知略も武力による制圧も状況を目的を達成するための手段に過ぎず、一度形成されたはずの合意が些細なことから容易に崩壊してしまい集団戦になだれ込むこともあれば、拘束されて一切の自由を失ってなお用意周到さによって敵の目的を挫折させることもある。

 

知略が暴力によって呆気なくひっくり返される展開は嘘喰いっぽくもあるが、敵の知能が低すぎるがゆえにブラフが機能せずにピンチに陥る・味方が真っ当に有能すぎるせいで国が滅びかけるなどの展開をみると「嘘喰いっぽさ」に留まらない頭脳バトルへの批評的な眼差しが感じられる*3

 

 

知力と武力の行使がシームレスであるように、ギャグとシリアスが非常に自然な形で融和しているのもこの作品の大きな魅力の1つで例えば犬猿の仲のヨゼンとコレット(レジャットの部下)が捕虜から情報を引き出すために「良い警官・悪い警官」を行うように命じられた場面。初めのうちは互いの役割に沿った言動をしているように見えた二人だが些細なことから普段通りの喧嘩が始まってしまい、レジャットにつまみ出される。ここまで読んだ読者は「こいつらこんな簡単な任務もこなせねーのかよ!仲悪すぎ!あはははははは!」と気持ちよく笑いに浸っているだろうが、喧嘩の剣幕に押された捕虜をレジャットが優しくなだめ情報を巧みに引き出し始めるのを見ると読者を簡単に手玉にとる作者の力量に途端に戦慄が走るはずだ。

こんな具合にギャグかと思えばシリアス、シリアスかと思えばギャグの変幻自在さは読者に的を絞らせることなく予測不能の面白さを生み出し続けている。

 

 

現在単行本5巻まで発売されている本作で唯一の長編「贋札造り編」は完結後においても白眉として語られうるすさまじい傑作で、そのすさまじさは完璧な贋札を生み出せるルークがなぜ贋札造りという困難なミッションに挑まなければならないのかを説明するロジックの強固さから既に露わになっている。そのロジックは実際に読んで確かめてほしい。

 

贋札を製造したいルークとそれを阻止したいレジャットは遠距離ながらもハイレベルな頭脳・心理戦を繰り広げる。お互いに二重三重の意味を一手に込めている本当にハイレベルなもので私は心底しびれたし、一歩間違えれば作者にしか理解できなくなるような複雑な戦略も互いが相手の手を読み会うことで二つの視点の切り替えがスムーズになり俯瞰して把握できる。なおかつ贋札造りをめぐり顔を合わせることなく因縁が積み上がり二人の再会は否応なしに盛り上がる。

 

またこれまでのストーリーで登場したキャラクターが一堂に会し、群像劇としての魅力もここで一気に爆発する。

これは贋札造り編に限らないがキャラクターがそれぞれの信念を尊重された描かれ方をされてるので一人一人が魅力的に映る。グレシャムは利潤を最大化するためならどんなことをも厭わない悪徳商人だが、迷いのない姿勢には不思議と爽やかさがあるし、レジャットの部下で銃使いのコレットは腕力を覆す平等な暴力としての銃に強い思い入れがあり、彼女の戦いには常に自らの信念の正当性を証明するための戦いという意味が付与されている。

他にも魅力的なキャラクターがたくさんいるのだが*4、彼らが自分の信念にまっすぐにぶつかり合うのだから面白くならないはずがない。

 

信念に沿って行動するキャラクター達は時に利害の一致によって協力するが、状況が変われば即座に裏切り、それを当然と思うからなのか互いに恨みを募らせることもない。

私達からすれば異常な価値観としか言い様がないのだが、読んでいる間はそれが凄く自然なことであり不思議に思わない。

 

 

まだまだ書き落としたことがたくさんありそうな気もするが今回はひとまずここで筆を置く。

先ほど贋札造り編を本作の白眉と紹介したが尻上がりに面白くなり続ける本作のことだ5巻までは助走と評されるようになるかも知れない。「ハイパーインフレーション」においては面白さもハイパーイn……なんでもありません。

*1:しなやかで細い足も……

*2:1億ベルクが日本円に換算してどの程度なのかはっきりとは分からないがそれを推し量る材料はある。奴隷が一人60万ベルクで取引されているというのだ。つまりだな、その、つまりだな

*3:嘘喰いでもラロにエアポーカーのルールを伝える場面は「なぜ頭脳戦なのか」に対する秀逸な回答だったと思う

*4:私の一押しはフラペコ