いきなりアマゾンへのリンクを貼り付けてしまいましたが当ブログはアフィリエイトではありませんので存分に踏んでください。積極的に踏んでください。
というのは今回取り上げる「アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険」の装丁を見ていただきたいがためなのです。
____________________________
カバーではなく表紙に直接印刷された絵と背表紙に金字で書かれたタイトルには重厚感がある。海外小説ならともかく日本の小説では異彩を放っている。この本が目に飛び込んできたとき、その美しさと存在感にまず惹かれた。そのまま手に取り読み始めると早々にこのような文章にぶつかった。少し長いが引用する。
気が滅入ると明るい花を愛でて立ち直るような人間は、それは本当に滅入ったことがない偽物であって、わたしぐらいの本格派になると、日陰の植物である羊歯・苔に心の底から親近感をおぼえ、それら植物が健気にも鬱屈したまま甘んじて生きている姿を眺めることで、心身が鬱々と冴えわたり、明日も存分に屈折しようという気力が充実してくるのだ。
私はもうこの文章ですっかりやられてしまった。自らの陰気さに妙なプライドを持つ面倒くさい人間を描きながらも「鬱々と冴えわたり」、「屈折しようという気力」といった言葉選びにはユーモア小説の気配も感じられる。
私もこの小説を読めば心身が鬱々と冴えわたってくるに違いないと確信した。
少々値が張るだけに躊躇はあったが、結局は書棚に収めることとした。
そろそろ内容に触れようと思うのだが、その前にもう一つこの本自体の良さに触れておこう。「アマゾンのリンクならもう踏んだよ」という人も少し待ってほしい。実は物語の内容を描いた絵巻物がついているのだ。本を読む前に見れば予告編、読んだあとに見るなら旅のアルバムになる。こればっかりは実際に手に取ってみないと分かりません。
あらすじ
庭いじりを趣味とするアーサー・マンデヴィルは教皇ウルバヌス6世に召喚され、イスラム教徒の軍を追い払うべく絶対的東方にあるというプレスター・ジョンの王国へ旅立つよう告げられる。
プレスター・ジョンの王国など父ジョン・マンデヴィルが書いたデタラメの「東方旅行記」の中にしかないと知っているアーサーはどうにか旅に出ずに済ませたいのだが好奇心旺盛な弟のエドガー、信仰心に厚くやや頭の固いきらいがある修道士ペトルスに押し切られる。
三人はキリスト教国の危機を救う使命を帯びて無意味な冒険へ!
ここからはいくつかのポイントに分けて本書の魅力について説明する。
①道中で出会う奇想天外なモノ達
不合理な冒険の中で私達は羊がなる木を初めとする奇々怪々の動植物に出会う。彼らを楽しむカタログとして見ても本書は十分に楽しめるし、絵巻物はそうした期待に応えてくれる。
訪れた異国での異質な風俗は時に旅人に牙をむくがそれでも興味深い。
犬頭人キュノケファルスは「気前の良さ」を美徳とし、最も気前のよい者を王を選ぶのだがそこから生まれる込み入った論理にはとても感心した。
②豊富な参考資料に裏打ちされた設定
作中にちりばめられたウルバヌス6世を初めとする多様な固有名詞を見ればこの本が簡単にできるようなものではないとすぐに分かる。しかし、思った以上に多量の知識が詰め込まれているらしいと気づいたのは私がNHKを見ているときのことだった。かつて日本は西洋からワクワクと呼ばれていた*1と番組で紹介されているのを聞いた私は「あっ、ワークワークってそういうこと」と一人で声を上げてしまった。作中ワークワークと呼ばれる国が出てくるのだがまさか元ネタがあるとは思わなかった。
巻末の参考文献の量を見るとちょっとした新書並みだ。
③文中に差し込まれるユーモア
冒頭で引用した文を読めば分かるとおりオフビートのユーモアも読んでいて心地よい。引用したいのはやまやまなのだが、こうした面白さは該当部だけ抜き出して伝わるようなものではないので止めておく。
旅の中で窮地に陥るたびに始まるアーサーの毒舌や保身交じりの「合理的解決策」にはキュノケファルスの論理とは違った意味で感心させられる。
一方でアマゾニアに監禁され謎の肉を食べさせられるエピソードは恐怖譚としても秀逸といえる。オチの不気味さがじわじわと尾を引く。
④全体のストーリー
存在しない目的地を求めてあてもなく突き進むアーサーの旅は行き当たりばったりでまさに瞬瞬必生といえるが、それでも最後まで読むと静かな感動が待っている。優れている小説とはそういうものなのかもしれない。
追記 2022年の上半期の本ベスト10でも取り上げました。