はぐれ者の単騎特攻

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開拓され続けるパラダイス 詰将棋の世界 齋藤夏雄

今日紹介したい本は「詰将棋の世界」だ。この本は一部の好事家にしか知られていなかった詰将棋の世界を広く世間に伝えることができる良書である。私もこれまでに詰将棋の問題集を何冊か買って勉強していたが、指し将棋の鍛錬のためじゃない詰将棋の多様さについて自分が無知だったことを知らされている。

詰将棋は江戸時代から作り続けられている歴史あるパズルであり、そのルールは当然整備された自明の物として扱われることが多い。例えばマイコミ将棋文庫SPの「詰将棋道場」では問題に先駆けて以下のようにルールを説明している。

① 攻め方は王手の連続で詰ます
② 玉方は最長で最善の手順を選ぶ
③ 玉方は玉以外の全ての駒を合駒としてつかえる
④ 玉方は無駄な合駒をしない
⑤ 攻め方は迂回手順を避け最短の手順で詰ませる
⑥ その他は指し将棋と同じ

これらのルールは簡潔に書かれているが故に数学の定義のような揺るがしがたいもののように思える。しかし、本書によればこうしたルールは歴史的な経緯の中で徐々に整備されていったものであり、現在も人によって異なる解釈を許してしまう言ってみれば曖昧なものなのだそうだ。特に④は非常にあやふやなものであるという。例えば飛車、角行、香車による王手に対する合駒を別の駒で取ったことで王手(開き王手)が生じ詰む場合、打った合駒はただ取られるだけで詰みを回避できていない。一方で王手をかける駒が変わり局面が変化していることを重視すべきとの意見もある。その他にも多様な論点が有り、詰将棋作家の間ではこの問題に踏み込まないことが暗黙の了解になっているそうだ。


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一般には知られていないが(少なくとも私は初めて知った)このような厳密なルールの構築を目指した例もある。

そもそも詰将棋は江戸時代の名人家が将軍家に献上するもので、そこでは詰将棋は明文化されたルールを必要としない閉じた世界を作っていた。
現在では概ね(なぜ概ねなのかは実際に本をめくって確かめてください)一通りの詰手順しか生じないように作られている詰将棋もこの頃は複数あり得る詰手順から「もっとも華麗」な手順を正解とするとしてしまっても問題は無かった(妙手説)。しかし、大衆に向けて出題されるようになると「何故こちらの手順ではダメであちらならばよいのか」との質問に答える必要が出てきた。やはり妙手説では曖昧さを排除しきれないために時代が下るにつれて「玉方が詰手順が最も長くなるような逃げ方を選択した手順を正解とする」受け方最長手順説が主流となっていったそうだ。


これは私見だが詰むまでに多くの手数が必要であっても持ち駒をベタベタ打つだけで詰むような受け方最長手順説的逃げ方よりも短手数でも妙手が要求される妙手説逃げ方のほうが相手が詰みに気づきにくいという意味で「実戦的」とされるために詰将棋の独立性が低かった時代には妙手説が採用されていたのではないか。


さて、現代の詰め将棋作家は、前述第六条の「その他は指し将棋と同じ」という部分に様々な面白みを見いだし、打ち歩詰めや二歩を巧みに取り入れた作品を発表し続けている。著者の齋藤氏は多くの紙幅を割いてこうしたテーマを扱った作品を紹介している。


中でも私が特に興味を引かれたのが「最後の審判」という作品だ。この作品は簡単に言えば「千日手の禁止」と「打ち歩詰めの禁止」という複数の処理を同時に走らせることで可能な着手を狭め、詰みを生み出す仕掛けが見所となっている。しかしながらこのような局面は指し将棋では見られないためこの局面をどう処理すべきかについて参照できるものが存在せず現在に至るまで様々な議論を呼んでいる。
最後の審判」により詰将棋制作には棋力だけではなく発想力も求められるのだと知った。

本書では他にも実に多様な仕掛けを紹介している。以下に名称のみ挙げていく。

・馬鋸
・攻方(玉方)不成
・成生打診
・飛先飛香(○先○□)
・取らせ短打
・不利逃避
etc.

私が本書に対して何より敬意を払いたいのはこれらの概念を豊富な実作と丁寧な解説によってわかりやすく提示する努力を惜しんでいないことである。いくら詰将棋愛好家の間ではこのような工夫が喜ばれていますと紹介してもそれだけでは単なる知識であって熱量を共有する役には立たない。

たとえば美術の授業でピカソキュビズムを知ったところでその芸術性を直感的に理解できないような物だ。ゲルニカを味わうには当時の文化や思想、スペイン内戦についての知識が必要であるように優れた詰将棋を味わうには、誤った手順では何故詰まないかを見た上で本手順(正解)がどのように問題点をクリアしているのかを知る必要がある。これは決して優しいことではない。模範的なトライアンドエラーをしてみせるには当然だが、作品の構造をよく知らなければならないからだ。
この親切さは本書が将棋専門誌ではなく数学セミナーの連載を原形にしている事実によるのだろう。私は数学に詳しくないので当然数学セミナーも縁遠い雑誌と認識していたがこのような連載もあるのなら図書館で手に取ってみてもいいかもしれない。


フェアリー詰将棋
これは本書の独自性の高い点だと思うのだが(そもそも類書がどの程度有るのだろう)、フェアリー詰将棋の解説も非常に豊富だ。フェアリー詰将棋とは詰将棋のルールに変更を加えたり、新しい駒を導入するなどして作られる変種の詰将棋である。


攻め方玉方ともに最短手順で詰むように指す「協力詰」、攻め方はもっとも詰みにくい手を指し玉方は最も詰みやすい手を指す「最悪詰」、取られた駒が指し将棋での初形の位置にワープする「キルケ詰」、取った駒が指し将棋での初形の位置にワープする「アンチキルケ詰」、味方の駒が縦に連続して並んだとき上の駒が下の駒と同じ性能になる「安南詰」などなど。フェアリー詰将棋に関しては紹介された全てのルールに実作が掲載されているわけではないが、実作が掲載されている物には通常ルールの作品同様丁寧な解説が施されている。
私も挑戦してみたが非常に歯ごたえのある問題が多いと感じた。


ここまで見てきたように本書の内容は非常に濃く、買ってよかったと思えている。しかし不満がないわけでもなくて、それが「大道詰将棋」の不在だ。大道詰将棋はかつて露天商が道ばたで出題していた詰将棋で、何度も挑戦させ挑戦料をとるために歯ごたえのある問題が多い。昭和初期の日本では日常的存在だったようで詰将棋を語るなら外せないだろうと考えていた。

・私が知る限り大道詰将棋では巧みな合駒がよく用いられるがあくまでもそれは特徴であって定義ではない。そのため盤上の要素で詰め将棋を分類する本書の章立ての中にすっきり収まらない部分がある。

・大道詰将棋は優しく言えば著作権フリーの世界。しかし本書では例示として使われる問題も作者不詳の物ではなく出所のはっきりした物だ。

・大道詰将棋では思わせぶりだが作意に絡まない駒で回答者の混乱を誘うなども常套手段で、作品全体を通しての論理の構造を評価する本書の価値観とは水と油の関係にあるといえる。
不採用になった理由を考えるならばこのようなところだろうか。


「詰め将棋の世界」の感想は以上となるが、このままだと「詰将棋の世界」の内容に踏み込みすぎない薄味の記事になってしまうので私が知っている将棋パズルを一つ出題したい。先手後手が協力した場合、指し将棋の初形から最短で詰みに至るにはどのような手順で何手かかるのかという問題だ。

ここから7手で玉が詰む

実は三通りの回答がある。正解をあげるので画像を参考に再現してみてほしい。

①▲2六歩△4二玉▲2五歩△3二玉▲2四歩△4二飛▲2三歩成
②▲7六歩△6二銀▲4四角△5四歩▲6二角不成△5二玉▲5三銀打
③▲9六歩△4二銀▲9七角△5四歩▲4二角不成△5二玉▲5三銀打


私見だが①は攻方がひたすらに飛車先の歩を伸ばすシンプルさと一切の手順前後を許さない点が魅力的だ。②と③は二手目と四手目を逆にしても成り立つが(なので五通りの回答があるともいえる)角を成らずにとった銀でぴったり詰む面白さが詰将棋らしい。