はぐれ者の単騎特攻

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祝!了巷説百物語 シリーズの魅力を振り返り「怪と幽」発売に備えよう

京極夏彦百鬼夜行シリーズと双璧を成す人気シリーズの巷説百物語シリーズの最新作である「遠巷説百物語」が連載終了したかと思えばとんでもない二の矢がつがえられてました。怪と幽にて連載開始! 新作「了巷説百物語」!!

 

世間を騒がせる様々な事件を「御行の又市」一味が、妖怪の仕業に見せかけて解決するこの作品群を発行順に並べるなら「巷説百物語」「続巷説百物語」「後巷説百物語」「前巷説百物語」「西巷説百物語」「遠巷説百物語」となる。「巷説」の連載開始が1997年なのでおよそ25年かけて完結するということになる。正直なところこれだけ長く続いた物語の終わりにどう向き合えばいいのか皆目見当もつかない。要するにこの記事は私が心の整理をつけるためだけにあると言ってもいいのだ。

 

あー、とりあえずシリーズの美点を書き連ねていく。

このシリーズの大きな魅力として又市を取り巻く多様なキャラクターの存在は大きい。私にとって忘れがたいのは「前」にて登場する山崎寅之助だ。飄々としていながら荒事にはめっぽう強く、相手が持つ武器を奪い取って戦うのが得意。しかし決して無敵というわけではなく内面には過去の経験に由来する大きな問題も抱えている。かっこいいのと同じくらい悲しい人物だと思っている。漫画だと絶対糸目で書かれるはず。基本は頼れるお兄さんとして振る舞えるので…………ただ終盤に怒濤の悲しみが押し寄せてくるだけ。

山猫廻しのおぎんもいいし(京極夏彦が書く歯切れのいい口調の江戸っ子姉御キャラ大体すき)(朱美)悪友の林蔵もいいし、江戸怪談シリーズを通過した上での事触れの治平や四つ玉の徳次郎もいい。どいつもこいつも憎まれ口をたたき合いながらもお互いの腕には信頼を置いていると読み取れるのがいい。

裏社会の住人である彼らは活動場所が固定されているようでも土地に縛られている訳ではないので、思わぬところで意外な組み合わせに出会える喜びもある。単行本刊行前なので具体的言及は避けたいけれど「遠」にあのキャラクターとあのキャラクターが出てくるのは本当に予想外だった。

 

次は物語の構造について

もう一つの代表作である百鬼夜行シリーズはレンガ本とも呼ばれる分厚さの中でいくつもの異様な事件を組み合わせる構成の複雑さが特徴だが、その長大さは解決のカタルシスを大きくする一方で読者は出来事の把握に精一杯ということにもなりかねない。だが巷説百物語シリーズは連作短編なので人物の動きと心情にフォーカスをあてやすい。

どうしようもない業や妄念にとりつかれた人々、彼らの引き起こす出来事が残す虚しさは短編だからこそ映える。

文庫にして100ページ以上ある物まで短編と言っていいのか正直よく分からないのだがこと京極夏彦に関しては短編扱いでいいんじゃないかな……。連作中編なんて言葉も見慣れないものだし変にこだわって読む人を混乱させるのはよくないだろう。

 

連作短編として一番クオリティが高いのは全ての話が一藩を揺るがす騒動へとつながるように計算されている「続」だろうだけど一番好きなのは「後」。僕と京極夏彦の出会いはここだし、過去の体験談と現代(といっても明治時代だけど)の事件が重なり合う独自の構成によって一話だけ取り出してみても読み応えがある。

 

小悪党を自称し人に言えないことも行うが、彼らの仕掛けは陰惨な事件の真相を明かさずして人々を日常に返すためのものだ。妖怪の仕業であるとしてしまえば人々は納得できる(江戸後期から明治初期という作中の時代設定は妖怪を説明のための装置にできるギリギリのライン)しまた前を向くことができる。嘘であっても悪意による物ではない優しい嘘なのだ。

 

そんなコンセプトに関連し、キャッチコピーのような文をノベルス版「前」の袖から引用する。「理不尽な目困った目、弱り目祟り目悲しい目、出た目の数だけ損をする、それが憂き世の倣いごと。出た目の数だけ金を取り、損を埋めるが裏の顔」ここ声に出して読みたい日本語じゃないですか?

 

シリーズの主軸が何かと問われれば又市と百介の奇妙な関係だろう。

「巷説」第一話の小豆洗いで又市と出会った百介は、表に生きる人間でありながら又市らの仕掛けに一枚噛むようになり、妖怪にまつわる事件としての筋書きを世間に広める。百介は大店の若旦那としての立場に馴染めずあちら側の世界に憧れを抱くが、又市は敬意というヴェールをまとい、あくまでも客分として接する。しかし裏稼業のスジから言えばこのような曖昧さにはスパッとけりをつけるのが正解で、又市も百介には離れがたさを感じているのだ。いつのまにかカタギのはずの百介に「考え物の百介」という二つ名までプレゼントしてるの矛盾の塊ですよね…………。私の好きな関係性は二律背反、アンビバレンス。シリーズが作品を重ねても百介の最後のエピソードである風の神以降は扱わない不文律も「了」で破られるのではないかと思うと怖さもある。

 

 

作品全体が一つの大きな世界を形作っているので百鬼夜行シリーズにつながる大きな爆弾が仕込まれていないとも限らないんだよな。

 

ちびちびとこんなことを書いている間に怪と幽の発売日が近づいてきました。結局僕がとるべきスタンスは分からなかったけど発売日になれば了巷説百物語を読まずにはいられないであろうことだけは確認できた。