はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

漫画版 仮面ライダークウガ 13巻とか風立ちぬの矛盾とか

「アギトが主役だ‼」

 

 

13巻を書店で手に取ってまず初めに目についたのがオビのアギトが主役になるという大胆な宣言だ。実際に買って読んでみるとこの宣言に嘘偽りはない。第13巻では傷心の五代の姿はほとんど描かれず津上翔一を中心に物語は進む。

 

駿河やさやかに振り回される彼には主体性が欠如している印象が否めない(翔一君の女性への免疫のなさは可哀想だよ。知り合って間もない翔一を家に上げるさやかも大概だけど)。そのためか12巻で手に入れた剣が折れ、再び新たな剣「雷切」を手に入れる駿河などストーリーの大きな進展のなさが目立つ。

 

てれびくんのハイパーバトルビデオオリジナル怪人のゴ・ジイノ・ダがゲゲルのプレイヤーになっている点も今回の話は番外編であることを示唆しているようだ。

 

語尾砂漠ダヴィンチ

 

土倉さやかのしりとりのような奇抜な語尾は面白かった。

プリパラかヘボット世界の住民だなと思っていたが、「罰ダヴィンチ」で限界だった。黄木あじみじゃん!
 

 「グロンギも変わったな」

TV版では終盤にてリントがグロンギに近づいていると指摘されたが漫画版では反対にグロンギがリント(人間)に近づく姿が描かれている。
親しみやすさを見せながらも通じ合うことのなかったメビオ、戦いに嫌気がさし五代との交流の中で成長するガリマ、人間の赤ん坊に慈愛の目を向けるジイノ。
 
今回ジイノが赤ん坊と交流したのは大きなことだったと思う。
 
劇中での五代雄介の活躍が迷子との会話に始まり世界の子どもを前にしたジャグリングの披露で終わるあたりクウガに於いて子供が一つの重要な要素であると推測することは可能だからだ。
 

自己矛盾

 

クウガという作品は人間を愛している一方で厭世的な雰囲気もある。この雰囲気には「グロンギは現代の若者の異様な犯罪が元ネタ」「響鬼」「大魔神カノン」など作品外部の情報に由来する部分も大きいが作中でも神崎先生の周辺や家出回、「波紋」などから感じ取れる。

 

思えば五代くんの放浪癖はその最たるものではないか。勿論五代くんに世を拗ねたところがあると言いたいわけではない。ただ、主人公が世間になじまない存在であることは意味ありげだ。
 
こうしたある種の矛盾を考える際に思いだすものとして風立ちぬという作品がある。戦闘機の設計家の堀越二郎の人生と堀辰雄風立ちぬを組み合わせて一人の男の人生を描いた意欲作だ。
 
主人公の堀越二郎は戦闘機の制作にひたすら打ち込む一途な男だ。しかし、彼は一途さゆえに世間には目を向けず、国の財政が軍事費につぎ込まれる中でお腹を空かせる子供に無邪気にシベリア(お菓子)を与えようとするような男でもある。
 
戦闘機の美に心惹かれることと戦闘機の目的である戦争の否定は矛盾する。
 
作品としては自己矛盾を意識していると表明するようなセリフもある。

 

「貧乏な国が飛行機を持ちたがる。それで俺たちは飛行機を作れる。矛盾だ。明日、東京へ行ってくる。嫁をもらうんだ」
「本腰を据えて仕事をするために所帯を持つ。これも矛盾だ」

 

これは二郎の友人だが彼と違い現実的な視点を持つ本庄の言葉だ。
 
二郎と結ばれた菜穂子が結核の病状が悪化する前に「一番美しいところ」だけを見せて消えてしまうのも二郎と戦闘機の関係を思わせる。
 
要するに何が言いたいのかというとクウガ風立ちぬは自己矛盾との向き合い方という視点から比較しようがあるんじゃないかな、と。
クウガが正義と悪の共通項としての暴力に真摯に向かい合ったこととか色々と比較する材料はありそう。
 
漫画版の話をするはずだったのに話が逸れたけどそれはまた別の機会にしましょ。