半期ごとに面白かった本を10冊選出するように心がけている。普段なら書名を並べてツイートして終わりなのだが今回は折角ブログを始めたことだしそれぞれの作品について軽く感想を書いてみたい。
作品の順列は基本的に五十音に従う。
- 異セカイ系
- インディビジュアルプロジェクション
- 子供たち怒る怒る怒る
- 最愛の子ども
- ジョージ・ジョースター
- 戦闘妖精・雪風〈改〉
- 大絶滅恐竜タイムウォーズ
- 七夜物語
- 匣の中の失楽
- わたしがいなかった街で
- +1_花神
異セカイ系
メフィスト賞っていう京極夏彦のデビューの余波で生まれたような新人賞があって、私は読む本に困ると同賞受賞作をよむことにしているのだが、生まれたきっかけが賞の性格にも影響しているのかアタリ率がどうも高い。
異セカイ系はゼロ年代のトレンドであるセカイ系と現代のトレンドである異世界転生物のミックスであり、ミステリでもある。
「キャラクターに少しでも実在の可能性があれば作中で不幸に陥れるなんてできないよね」という共感できそうな人とそうでもない人がわかれそうなテーマを一途に追い求めた一種の思考実験のような趣があるのだけど関西弁の超絶軽やかな地の文がそれを感じさせない。
とりあえずミステリとして読者への挑戦状ではなく作者への挑戦状という変化球が構成からもテーマからも必然なのがえらいし、滅茶苦茶興奮した。
インディビジュアルプロジェクション
主人公が正気なのか正気でないのか、判断のつかなさが面白い。日記を通してのみ読者に開示される主人公の日常はかなり怪しくて「信頼できない語り手」の雰囲気が漂う。
今年の頭に読んだので細かいことを語るのは難しいが終盤の畳掛けが凄かった覚えがある。
子供たち怒る怒る怒る
「子供たち」の著者である佐藤友哉もメフィスト賞からデビューした作家。私は丸くなってない、尖っていた頃の佐藤友哉が大好き。今も好きだけど。
こちらは短編集なのだが、一貫しているのは表題作のクライマックスの青臭いしゃにむにさや「大洪水の小さな家」の徹底した外界に対する拒絶などの外界に対する有形無形の抵抗、不服従だ。
読むと元気をもらえる。
最愛の子ども
best10の中に優劣はないんだけど、これはちょっと役者が一枚上じゃないかな。
感想は下のリンクで語ったので特に付け加えるべきこともない。
だからここから先は余談なのだけれど、作品周辺の情報を調べて見るとこの作品は2017年度の「ツイッター文学賞」で国内編第三位を獲得したらしい。この作品以上と判断された作品が二つもあると思うとわくわくしてくる。
ちなみにその年の第一位は加藤シゲアキの「チュベローズで待ってる」で受賞理由はジャニーズファンの組織票だって。あーあ。
ジョージ・ジョースター
この作品についても感想はブログで書きなぐったので(推敲しまくったけど)特に付け加えることもない。
だからここから先も余談なのだけれど、上半期に読んだ舞城作品だと深夜百太郎も非常に面白かった。百話の掌編怪談が収められていて、洒落にならない怖い話から不思議な話、ちょっといい話まで舞城の引き出しの多さを楽しめる。
そういえば舞城もメフィスト賞出身じゃん。私は今本当に驚いている。下半期は別のジャンルの本を読もう。
戦闘妖精・雪風〈改〉
「異星人ジャムが地球人に戦争を仕掛けてきた」という前提が様々な形で変更を迫られていく様子が面白い。
主人公の深井零大尉は愛機雪風を駆るときがもっとも幸せという風変わりな男。徐々に雪風の自動操縦の精度が増すにつれて、パイロットの存在意義は薄れ、搭載するにはあまりに脆弱なデッドウェイトに過ぎなくなっていく。
自動車が文字通り自動車となっていく今日的なテーマを書いているようだが発行は1984年だ。
あしたのジョー大好きマンとしては破滅に向かう主人公と、彼と似た人間でありながら平穏を望むようになってしまった親友の関係がジョーと西のようでおいしかった。機械のようでありたい人間と機械の間に厳然として横たわる埋めがたい溝は今後のシリーズでも掘り下げられるという。
続編であるグッドラック 戦闘妖精・雪風とアンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風は下半期に読みたい。ブログが続いていれば感想も書くはず。
大絶滅恐竜タイムウォーズ
「はははは! 言うまでもないな。アノマロヒューマンに決まってるだろ。六人の老婆は六人しかいねぇんだからな! アノマロカリスを宿したアノマロヒューマンに勝てるわけねぇだろ!」
「大進化どうぶつデスゲーム」の続編。身もふたもない暴力的描写の中に「道理を通して無理を引きずりだす」ようなSF理論有り、キャラクターをキャラクターたらしめるものに関する美学的考察有りという要約しがたい本。なので、本文の印象的な文を引用してみた。
「内面独白が売りのキャラはたとえ描写がなくとも内面独白をしていればいいので描写される部分で唐突に白アリを食べ始めてもキャラの一貫性は崩れない」
私はここで五分くらい立ち止まってしまった。これらの理論を未だに咀嚼しきれていない私がいる。
キャラクターに関する考察や、「理由」については異セカイ系と対になるような部分もある。時間がとれれば単体の記事にできそうな話なので出し惜しみします。
七夜物語
小学生のさよは母親と二人暮らし。ある日図書館で「七夜物語」という不思議な小説を見つけます。なぜかこの本、読んでも読んでも本を閉じて家に帰れば内容を忘れてしまうのです。さよがひょんなことから同じクラスで物知りだけどちょっぴり浮いてる仄田くんと夕暮れの学校に忍び込むとそこには七夜物語の世界が広がっていて……。
本を読んでも何も持って帰れないけど物語世界で冒険すれば少し成長して戻ってくる。
さよと仄田くんが向き合うのは自分自身の内面。誘惑に負けそうになりながらも二人で手を取り合い優しくあろう、正しくあろうとする姿がいいです。仄田くんかわいいよなぁ。
エピローグがまたいいんだよなぁ。
匣の中の失楽
これもやっぱりブログの中で感想を書いたので特に付け加えることもない。
だからここから先もやっぱり余談なのだけれど、上掲の記事をツイッターで宣伝した際に作者の竹本先生からリツイートされたときはかなり驚いた。
意図したわけではないのだが、今年の上半期はメタフィクションがやたらと多い。
わたしがいなかった街で
例えば私が久々に訪れた地元のショッピングモール、すれ違う人。人。人。その中には私の同級生や先輩後輩もいるだろう。気付かなければ可能性だけで終わる話だが、昔の知り合いの顔を群集の中に認めた途端に私の知らないその人の人生の存在が主張を始める。本当は知り合いでない人にも人生があるのにそれを実感するのは難しい。
あるいはあなたが10年後に出合うかもしれない運命の人は昨日死んでいたかもしれない。10年後の未来と同じ不確かさが昨日までの昨日には確かにあった。
入り組んでいるようで読みやすい文章を書くのは難しいね。ただ、こういう話に少しでも引き付けられるならこの「わたしがいなかった街で」をよんでみてほしい。
追記 この本については妙に忘れがたく、しばらくしてからこのような記事を書いた。
+1_花神
今年は司馬遼太郎の小説を読み返すことが多かったので印象が埋もれてしまっていたが、花神も上半期の本に入るのだった。10冊分の感想を書き終えた今思いだしても困る。
この作品に限ったことではないのだが、嘘みたいな逸話ももっともらしい逸話も独自の歴史観も全部同じ平面上に乗っていてとにかく面白い。