世間はここ最近BLACK SUN一色で、すでに多くの感想記事が拡散している。私も余韻が色あせないうちに感想をまとめ、記事にしたいのだが…………今回は濱田岳つながりのこちらの映画について書いてみることにしよう。
ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ ウルトラマンガイア超時空の大決戦
この映画は私にとって思い出という以上に大切な原点のようなものだ。子供の頃ウルトラマンが大好きだった私はこの映画に親に録画してもらい、劇中で勉がそうしていたように何度も繰り返し見てガイアの勇姿に心を躍らせていた。だがそれもビデオデッキが壊れるまでの話で、再生機器を失ったビデオテープはいつのまにか処分され、その後は視聴の機会を作れずにいたのだが、先日デパートでDVDがアウトレット品になっているのを見て購入。
今見てもキングオブモンス・バジリス・スキューラの三大怪獣はかっこいいし、だからこそ怪獣に立ち向かうガイア・ダイナ・ティガもかっこいいのだが10年以上たって見返すと昔は目が行かなかった部分にも意識が向くようになっていたので今回はそうした部分を文章にして残したい。
劇中劇と全体の構図
まずのっけから驚かされたのは冒頭の劇中劇で本作のテーマやクライマックスの出来事がある程度提示されていた*1ことだ。
劇中劇では我夢自身の影を名乗るサタンビゾーの攻撃で吹き飛んだ我夢が鉄骨にぶら下がるも身体を引き上げ、鉄骨の先にあるエスプレンダーへと一歩ずつ近づいていくのだが、勉も物語の後半で鉄骨に乗り、倒壊した大時計に置かれた赤い球を取るため勇気を振り絞って前に進む。
これは偶然などではなくて、勇気を振り絞る勉と我夢が(露骨に)重ね合わされているのだ。勇気を発揮するとき人はヒーローだと二つのシーンの一致は雄弁に物語っていて*2、本作のクライマックスは以前以上に私の胸に迫ってきた。
勇気を振り絞る勉に自分のおかれている状況をかつての我夢のものと重ねる余裕などあったはずもないが、それでも彼が繰り返し見たフィクションは無意識の中で勇気を与えてくれていたのだと想像するのも楽しい。
また、サタンビゾーが語る世界の滅びが不可避とする考えや人間(我夢)の心の中にある闇などは劇中劇のみならず作品全体を通して「立ち向かうべきもの」として描かれている。
ガリバー旅行記
次にガリバー旅行記が小道具として非常に印象的だった。
序盤のリサ(赤い球のインターフェイス)と勉との会話で言及されるにとどまらず、本の余白への書き込みは我夢が勉の世界を思い出すきっかけになり、最後にはエンドロールの映像にも登場するというのは改めて列記してみると尋常じゃない。
ガリバー旅行記に担わされた役割はいくつかあって、1つは先ほども書いたように我夢が勉の世界を思い出すきっかけで、更に中盤の秘密基地での会話では「パラレルワールド」や「多世界解釈」の言葉を引き出す役割も担っている。ここまでは言語化こそしていなかったが子供時代から認識していたと思う。
今回の再視聴でガリバーにはもう一つ別の役割があったのではないかと思うようになった。それは「ウルトラマンガイアとは異なるフィクション」というものだ。
発想の根拠として本を見た我夢がガリバー旅行記を「量子物理学に興味を持ったきっかけ」と述懐している点があげられる。
この設定は映画が初出のはずで、とするとそこには意味があるはずだ。
具体的にはどのような意味があり得るのか考えたときに勉に勇気を与えた我夢もまたフィクションの影響を受けている図式を作りたかったのではないかと思い浮かんだ。
私の考えを補強するようにこの場面で我夢は「この本は社会風刺に基づくフィクション」と言っている。言わずもがなのセリフはガリバー旅行記が架空の物語であることに目を向けさせるためではないか。
もう少し妄想をたくましくすると、ガリバー→我夢→勉と続いてきた矢印はスクリーンの向こう側から私達へと延びているとも考えられる。
ボール/球体が持つ意味
続いてボールに持たされている意味について考えたい。「超時空の大決戦」でボールといえば赤い球だが、それ以外にも本作では印象的な使われ方をしたボールがある。
バスケットボールだ。校庭でガイアの落書きをする勉は級友がバスケで遊ぶ姿を見ても参加しようとはしない。だが彼のもとにバスケットボールが転がるとそれを手に取り、級友の誘いに応じようとする。この心変わりは奇妙と言えば奇妙であるが、もう少し先を見てみよう。
ボールを手にした勉の元に3人の上級生が現れる。3人がウルトラマンをいつまでも卒業しない勉をバカにし、バスケットボールを奪うと(当然のことだが)勉は俯いて先ほど見せた積極性を喪失してしまう。
「バスケットボールが手元にあると積極性が見られ、バスケットボールを失うと消極的になる」
一連の流れは一応このように整理できる。同じ事が赤い球についても言えるかもしれない。
赤い球はファイターEXを呼んだあとやはり上級生に奪われる。ボールを取り返そうという案が出ても勉は初めから諦めてしまっていた。しかし、リサ達の激励で勉は赤い球を取り返す決意を固める。
奮闘の末に赤い球を取り戻した勉は二人のウルトラマンを呼び寄せ見事にガイアを救ってみせる。バスケットボールと赤い球について比べてみると途中からは相違点が目立つ。何故ならば後者の場合勉には我夢がいたからだ。友人がいたからだ。
ところで、赤い球が徐徐に歪さを増していくのは私欲で使われることでボールが本来の象徴性を失ったからと考えられる。私の思いつきが的を射ていたとしてなぜボールに特権的な位置が与えられたのか、それはこの作品が「ウルトラマンガイア」=地球の戦士の物語だからだろう。
本作を久しぶりに見返すとフィクションから影響を受けることや人間の精神の力を(その負の面に触れながらも)堂々と肯定しきった傑作との印象を受けた。かつて夢中になった映画とこのような幸運な形で出会い直せたことは率直にいって喜ばしい。