はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

「だいしゅきホールド起源論争」とか分人主義とか帰属意識とか

インターネット帰属意識、持っていますか?

終身雇用制度や地縁血縁の崩壊が騒がれて久しいこの時代、自分が「どこ」の「誰」なのか決めることは難しくなっている。もう少し正確に言うと一貫した自分という幻想が崩れつつあるのだ。
大学デビューなどのいわゆるキャラ変がしやすいメリットはあるにせよ不安定な「自分」をメンテナンスし続けなければいけない重荷は誰の肩にものしかかる。そこで「ネットのコミュニティにいる私」は意外と長持ちするかもしれませんよっていう話やなんかをします。

昨日、面白い論争を目にした。「だいしゅきホールド起源論争」と呼ばれているらしい。これはラノベ作家のA氏が「#しれっとすごいことを言う見た人もやる」タグにてだいしゅきホールドという言葉(VIPのとあるスレが初出)の発案者を自称し、その後B氏も自らが起源であると主張したことから巻き起こったものだ。

だいしゅきホールド - Wikipedia

論争の顛末はtogetterなどで見られるためここには載せないが、私が興味深く思ったのはB氏が名乗りを上げた動機である。
B氏は現在アカウントに鍵を掛けているため引用は差し控え要旨をまとめると「ネットスラングは出所がはっきりしないから面白い。当時の状況を知るものとして考案者について複数の説が同居している状態を作りたかった」となる。
つまり、B氏は発案者としてではなく当時VIPPER(VIPの住民)だった者の一人として行動していたわけだ。この行動原理自体が名無しとして存在する2ちゃんねらーっぽくてもう好き……。B氏がTwitterにあってもVIPPERとして行動したのはなぜだろう。

参考になりそうな考え方が分人主義だ。

一つ断っておかなければいけないことがある。分人主義は平野啓一郎氏が提唱した概念なのだが、私は氏の著作を直接読んだわけではない。書評などで概念の大枠を理解した気になっているだけだ。そのため詳しい人ならば大きな誤解や錯誤を見出すことができるかもしれない。いずれは氏の著書を読んでみようと思っているのでご寛恕願う。

そんな私なりの理解では分人主義とは「個人を他者との関係の中で生まれる『分人』に分割する」主義である。たとえば「親といる時の私」と「高校の友人といる私」と「部下といる私」が異なる振る舞いを見せるのは当然だが個人を人格の最小単位とした場合そこには矛盾が生じる。なので、様々な場面の私をすべて分人という人格の一つとして認め、いわゆる個人を分人の総和としてみなすのである。

B氏がVIPPER的な行動をとれたのは彼の中にVIPPERとしての分人が残っていたからとは思わない(ぺこぱみてぇだな……)。
なぜなら分人とはシチュエーションに依存するもので、そこから切り離された状態では存在しない(ここら辺の理解が不安ですね)からだ。

分人はその場その場で立ち現れる「あなたと私の関係性」を記述するにはとても便利だ。その一方で分人の分と響きあう「分析」の対義語である「総合」も人間には必要不可欠ではないかと思うのだ。自己の一部を一種の客体として並列化していくようなイメージを分人主義という言葉から受け取ってしまうのだが、それだけではなくて自己を階層化するべきだと言いたい。

様々な場面で獲得された価値観をジャッジし、階層化する価値観を手に入れるにはどうすればよいのだろうか。勿論、文化人類学などの学問を学び価値観を相対的に捉えやすくする視座を獲得することは可能だろう。しかし、大多数の人間はそうはしない。どうするのか、慣れ親しんだ思考様式を採用するのだ。

B氏の内面を推し量ってみると、VIPPER・当時のネット住民としての規範意識ツイッターでの規範意識を比べ、前者を採用しA氏の発言を見過ごせないと考えたのだろう。おそらくこの時判断に影響を及ぼすのが帰属意識だ。私の直感だが規範を強く内面化するには帰属意識が必要だと思う。

ところで、なぜネットの帰属意識に着目したかといえば物理的な制約に囚われない点と共通項だけで人が集まれる点でネットは特殊な空間だからだ。そのような空間は往々にして良くも悪くも特殊な価値観を醸成しやすい。だからこそ、居心地の良さを感じた人はその特殊な価値観を内面化しがちだ。

人との関係が切り離されても「かつて存在していた私」を呼び起こせるのは帰属意識が強化した規範や思考様式ではないだろうか。思考停止を誘発すると非難されがちな帰属意識だが乗りこなせればとても心強い味方になりそうだ。

強化された規範はシチュエーションとは独立して生き延びる。そして、思い起こされる特異な価値観は恥ずかしさや懐かしさを呼ぶ。価値観・規範の出所が明確であるが故に「ネットコミュニティにいる私」の影はくっきりと浮かび上がり続けるのだ。

上手くまとまった気はしないけど半分時事ネタなのでとっととネットの海に流してしまおう。