はぐれ者の単騎特攻

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「ジオウ」後だから書けた快作、「小説 仮面ライダー電王 デネブ勧進帳」ネタバレ有

テレマガ公式による、ゼロノスを主役にした小説「小説 仮面ライダー電王 デネブ勧進帳」が発売されるという発表は大きな反響を呼んだ。

 

大人気作であり、今年(2020年)にも新作「プリティ電王」が公開されたとはいえ10年以上前の作品のスピンオフが突如発表されたのだから当然の反応といえる。だから私は「デネブ勧進帳」を読み終え「これはさぞや話題になっているだろうな」と感じた。にもかかわらず実際にはさほど話題になっていない。少なくとも私のタイムラインでは全くといっていいほど無風だ。そこで及ばずながらネタバレ込みのプレゼンをしたい。

 

 

まずはジオウの関係しない見所から。

デンライナーに乗り時間を自在にかける仮面ライダーである電王だが実はテレビシリーズではそう幅広い時代を移動しているわけではない。

映画であれば遠い過去に行くこともあったが、それも太秦で撮影できるロケーションかさもなければ恐竜が闊歩する白亜紀だ。ところが撮影の制約がないこの小説では、ゾンビ兵との海戦から始まり、平安時代の奈良から奥州平泉までの山地まで実に広範囲にわたる冒険劇が繰り広げられる。ある意味ではテレビ本編以上に電王という作品のポテンシャルを堪能できるといえよう。

 

また、前作(といってもストーリーに繋がりはないが)「東京ワールドタワーの魔犬」では東京スカイツリーをめぐって実際に起きた出来事がストーリーに組み込まれていたのだが、今作ではそうした要素が一層盛り込まれている

電報略号や、日本語の音韻変化、歴史の異説まで組み込んだ、「現実とのリンク」を超えて最早ペダンティックな展開はいかにも白倉的。セリフとして口にされれば散漫に通りすぎていくであろう要素がしっかりと頭に残るのは文字媒体ならでは。正直読んでいて勉強になる。

 

また白倉がインド映画にはまっている事実を踏まえた「インド映画の舞踊のように」などのあからさまな比喩での読者への目配せは……あざとい!

 

ここからはなぜ本作がジオウ後ならではといえるのかに移っていくが、読み進めて真っ先に気付くのはOQに於ける信長と今作の義経の類似性だ。信長が実はおちゃらけたノリの軽い男であったように、義経は女好きな上、過度に合理主義的でズケズケとものを言うので周囲に疎まれていた。こちらは白倉が言うにはOQに今作のアイデアが流用されたらしい。であればジオウが無くてもこの作品は成立したようだがさらに読み進めるとある意外な要素がジオウから輸入されていることが分かる。

 

というのはつまり、タイムジャッカーが敵として現れる。しかもそのタイムジャッカーは実在した歴史上の人物である梶原景時になり替わっているのだ!

率直に言ってこの発想のぶっ飛び方だけでいくらでも賛辞を送れる。ジオウで各作品の唯一性を強調した後で臆面もなくコラボ要素を入れるかね普通?いい加減すぎるだろ。「梶原景時」のペダントリー溢れる話し方は歴代タイムジャッカーの中でも上位のキャラ立ちというおまけ付きだ。

 

前言を翻すようだが私は「梶原景時」は只の悪ノリではないと考えている。

イマジンが主な敵ならば契約者の願いがドラマの大きな構成要素になる。無論テレビシリーズの安定した面白さが契約をめぐる人情劇などのフォーマットにあることは間違いない。しかし、デネブと侑斗のバディを書くに当たっては背景をほとんど必要としないタイムジャッカーこそがメインの敵として最適であったということだろう。

実際ジオウではスウォルツ以外のメンバーが何故異なる王を擁立しようとしていたかは明らかにされないし、ティードやフィーニスの背景も一切不明だ。考えてみればひどい奴らだよ。

そんな敵だからこそ異物であるにもかかわらず電王の世界観を損なわずにいるバランス感覚にも驚かされた。

 

十分に説明できたか心もとないが「デネブ勧進帳」は電王ファンかジオウファンであればきっと楽しめるものになっていると伝えたい。

 

追記

帯に「それって仮面ライダーなのか?!」というセルフツッコミがあったが、私が尊敬するアカウントの某ライダーに寄せた苦言によれば「ドンパチじゃどうにもならない問題をライダーのストーリーの主軸に据えるな」ということなので、クライマックスに置かれた戦闘が騒動の解決とほぼ同義である本作も仮面ライダーらしい仮面ライダーなのだろう。