はぐれ者の単騎特攻

ニチアサや読書について書くはずです

映画「屍人荘の殺人」宣伝班に騙されましたーネタバレありー

「しじんそーのアレがさー」「屍人荘といえばやっぱアレなんだよな…」

屍人荘の殺人を語るときに歯切れ悪く言及されるアレ、読んだ人がほとんどだろうけど未読の人もいるかもしれないしボカシておきたいアレ、流石にそろそろ時効だろうから言うけど屍人荘といえばやっぱゾンビなんだよな…。それくらいのことは読む前から知っていたよ私は。明言されなくたって「屍人」というワードと特殊設定の匂いを嗅げばそれくらいのことはわかる。だからこそ「そうまでしてゾンビを隠さねばならないなら他に見るべきものはないのではないか」と考えてしまった私は屍人荘の好評を知りつつも読もうとはしてこなかった。

 

ある日本屋に行くと「屍人荘の殺人」に大きなカバーがかけられていることに気付いた。カバーには神木隆之介と知らない女優と知らない俳優、そして映画化決定の文字。しばらくすると書店には映画「屍人荘の殺人」のCMがかかるようになっていて、私も大勢の客と同じように見るでもなく液晶画面を視界に入れていた。そこでもやっぱり「アレ」は明言されることなくボカされていた。

 

「そうまでしてゾンビを(ry」と考えて気付いた。「あ、これ探偵は二人いるんだ……。もしかすると多重解決物なのか?!」多重解決というのはミステリのジャンルの一つで一つの謎に対して複数の推理が示されるものをさす。で、私はこの多重解決が大好きで「密室殺人ゲーム王手飛車取り」や「その可能性はすでに考えた」、「ディスコ探偵水曜日」など数々のお気にいりの作品がある。知らない女優こと浜辺美波が演じる探偵剣崎比留子と知らない俳優こと中村倫也が演じる探偵明智恭介がメインキャストで登場するというのだからこれは多重解決で決まりや。

 

ようやく重い腰を上げて屍人荘を読んだ私は探偵明智と助手葉村のへっぽこ学生感を楽しみつつ、助手として葉村を迎え入れたいという剣崎のスカウトに目を光らせつつ殺人が起こるのを心待ちにしていた。しかしここでゾンビどころではないサプライズ展開が待っていた。

ゾンビによるクローズドサークルが実現した直後、こともあろうに明智はゾンビにかまれあっけなく死んでしまうのだ。ほな多重解決と違うかぁ。

 

そもそも探偵と助手というのは(構造的に)一種の傾斜というか不均衡があらかじめ用意されているんですね。探偵がいなければ助手という役割は存在しえないがその逆はないので。こうした単なるバディとは異なる土台の上に「不均衡が歪みとなって助手が探偵を殺す」「実は精神的に依存しているのは助手ではなく探偵」「助手が推理を誘導して探偵を操っている」などの転倒を積み込むことで探偵と助手のバリエーションは無限大に増えていく。

それでもやはり探偵不在の助手は助手ではなく、探偵の大空位時代においては助手という葉村の肩書は矛盾しているといってもいい。

葉村は果たして本物の探偵役である剣崎の元で助手としての再スタートを切るのだろうか。

 

続編の「魔眼の匣の殺人」が気になるような終わり方だったとだけ言っておく。上掲ツイートはネタバレではない。

つけたしのようになるが本作はミステリとしても優れていて謎解きはロジカルかつ手掛かりはスマートに示されていて新人のデビュー作とは思えない。

 

しかし一番驚かされたのは映画の宣伝の巧妙さだ。映画館では葉村・明智・剣崎に観客へのコメントを語らせ、

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書店では葉村ver、明智ver、剣崎verのカバーを本にかぶせる。これでは明智が死ぬなど想像もできない。ゾンビを隠すのはあくまで囮で本命のサプライズは明智の死だったとは。